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日本学術会議新規会員任命拒否に関する早稲田大学関係者有志の声明について

最近の投稿

『BLACK LIVES MATTER』『コロナの時代を生きるための60冊』

  大学暦でいえばこの前期、いくつかの原稿に取り組んでいましたが、そのうち、2つの原稿が8月に立て続けに出版されました。1つは『現代思想』の臨時増刊号『コロナの時代を生きるための60冊』です。『現代思想』へは実に久しぶりの寄稿となりますが、今回の依頼は、コロナ時代のなかでいま読むべきものをということで、読者へのブックガイドであると同時に著者としてコロナ時代をどのように考えるのかが問われている、と考えました。そこで、ここでは私がもっとも親しんできたカリブ海の詩的思想家エドゥアール・グリッサンの著作と改めて取り組むべきだと考えました。折しも、今回取り上げた『〈関係〉の詩学』(インスクリプト、2000年)は、今期の非常勤先の授業で読んでおり、しかも課題としたテキストにはウィルスの話も出てくるなど、アクチュアリティのなかで読み直させると思ったからです。改めて読み直してみて、しかし、わたしが取り上げたのは、ウィルス(コンピューター・ウィルスですが)をめぐる箇所ではなく、カリブ海の砂浜をめぐるテキストでした。「汀の足跡、思考の他者」というタイトルです。その真意については、ぜひ『現代思想』の当該号をご覧くだされば幸いです。いうまでもなく、私の原稿は60冊分の1にすぎず、残りの59冊分をめぐる59人の著者の論考を読むことから得られる出会いは計り知れません。その意味でも、『コロナの時代を生きるための60冊』をお読みくだされば幸いです。 もう一つは8月26日発売予定の河出書房新社編集部編『BLACK LIVES MATTER:黒人たちの叛乱は何を問うのか』です。河出書房新社編集部編としては『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』に次ぐ緊急出版です。私が寄稿したのは「〈全-世界〉におけるブラック・ライヴズ・マターは反欧米中心主義、反血統主義を掲げる」という論考です。編集部からの依頼で『野蛮の言説』で論じたような「人種」と「人種主義」をめぐるものを中心に据えましたが、短い期間のなか、このテキストは編集部に送る予定の締め切り日に一応の完成を見たものの、読み直してどうしても満足のいく仕上がりとは言えませんでした。そこで、原稿をすべて放棄し、ゼロから書き直して、しかし最終締め切り日になんとか間に合ったものです。掲載されたテキストのうちに一貫した熱気と信念を感じ取っていただけたら幸いです。 そして

「世界システムとオイコノミア」研究会に参加して(2020年8月11日)

  東京外国語大学の中山智香子先生が研究代表を務める「世界システムとオイコノミア」の研究会に参加してきました。中山先生には大学院時代から折々に大変お世話になっているのですが、今回、拙著『野蛮の言説』をとても気に入ってくださり、ゼミの教材として用いていただいたばかりか、この本をめぐって研究会の場を作ってくださったのでした。 研究会に先立ち、ゼミの学生たちとのこの本をめぐる質疑応答の時間がありました。遠隔と対面の双方を取り入れたいわゆるハイブリッド型の運営で、ゼミの学生の多くは画面越しから、731部隊のこと、優生思想のこと、『闇の奥』とレオポルド2世領コンゴでの虐殺について質問をしてくれました。13時20分から14時までの時間があっという間に過ぎてしまいました。 その後、14時からは研究会でした。最初に院生の豊坂さんがわたしと本書をコンパクトにご紹介くださり、その後15時までは、わたしのほうで本書の執筆の経緯やポイント、また「世界システム」との接続で、カリブ海における奴隷制、人種差別、資本主義の関係からBLM運動に話をつなげていきました。10分ほどの休憩をはさんだのち、「世界システムとオイコノミア」の研究メンバーが一人ずつ本書へのコメントをしてくれました。そのコメントをここで再現するかわりに、今回交流をさせれていただいた先生方のお名前を発言順にここに記しておきたく思います。林公則さん、伊藤剛史さん、桑田学さん、藤原辰史さん、中山智香子さん、松村圭一郎さん、武内進一さん。さらに中山ゼミの院生の小島舞さん、長谷川健司さんからもコメントをいただきました。 ほんとうに多くのことを学びました。一言だけコメントを引用させてもらえば、藤原さんが「共同研究の呼び水」だと評してくださったように、本書で論じたことから、その視点に応じて多様なテーマが展開できることを教えてもらう機会であり、みなさんからのコメントはまさにそのような誘いのような、多方面からのありがたい言葉でありました。こうした機会を作ってくださった中山さんに格別の感謝の気持ちを伝えたく思います。

『図書新聞』2020年上半期アンケート

『図書新聞』の年二回のアンケートに参加して通算7回目となる今回は、以下の著作をとりあげました。 ・永井敦子『ジュール・モヌロ――ルサンチマンからの解放』(水声社) ・カルロ・ギンズブルグ『それでも。マキャヴェッリ、パスカル』上村忠男訳(みすず書房) ・富田広樹『エフィメラル――スペイン新古典悲劇の研究』(論創社) ・石田智恵『同定の政治、転覆する声』(春風社) ・『ルネ・シャール全集』吉本素子訳(青土社) 基本的には3冊のため、コメントを付したのはそのかぎりですが、それ以外にもどうしても言及したいものが2冊あったのが2020年の上半期でした。 大学院生時代から『図書新聞』『読書人』『みすず』の読書アンケートは楽しみに欠かさず目をとおしてきたものでした。その過程で、このコーナーに携わることができる幸運に恵まれてからというもの、取り上げる書籍にはある基準をもって取り上げるようにしています。ささやかではありますが、読書の楽しみが広がれば幸いです。

「全-世界学院」出版の設立(CRÉATION DES ÉDITIONS DE L'INSTITUT DU TOUT-MONDE)

          (写真はマルティニック島フォール=ド=フランス) エドゥアール・グリッサンが2006年に設立した「全-世界学院(Institut du Tout-Monde)」の出版部門が設立された、という知らせが届きました。 最初のラインナップは現在この学院の中心人物であり、グリッサン関連のネット上での情報構築に長年尽力しているロイック・セリさんによる二巻本のグリッサン研究書です。第三巻も刊行予定だとのことです。ほかにも「全-世界学院」のセミナーの記録や、ここを主催とするシンポジウム、ワークショップなどの記録が順次刊行されるとのことです。 詳しくは以下のサイトでご確認ください(フランス語)。 https://editionsitm.com 日本語圏でも、ついに9冊目の翻訳となる1975年発表の小説『憤死(マルモール)』が刊行されました。これは本当に快挙です。エドゥアール・グリッサンの研究は今後世界的にますます広がっていくと思います。研究である必要はありません。グリッサンの全-世界のヴィジョンに共感し、そのヴィジョンでもって世界を見る、他者とかかわる人々が日本語圏でもますます増えていくことを願っています。

感傷図書館(サンティマンテック)第21回 追悼ジャック・クルシル

           (写真はマルティニック島の最南端の浜辺)    6月25日(木)、旧友のラファエルからSNSのメッセージを久しぶりに受け取った。筆者がシェアした数年前のアフリカの芸術家の訃報記事を見て連絡をくれたのだった。その芸術家とはフレデリック・ブリュリィ・ブアブレ(1923‐2014)。象牙海岸出身で、ベテ族のための400以上の音節文字からなる新文字体系「ベテ・アルファベット」の考案者として知られる。  ラファエルは、2009年のある思い出に触れてくれた。その年の12月、エドゥアール・グリッサン(1928‐2011)がカルべ文学賞授賞式のために主催者としてマルティニック島に戻ってきたときのことである。   ラファエルは当時グリッサンの個人秘書(現在はモントリオール大教員)をしており、筆者はカリブ海文学を肌身で感じるためにこの島に長期滞在をしていた。このようなわけでカルべ賞授賞式に筆者も居合わせたのだが、そのさいにたしか流されていたのが、短編記録映画「ブアブレのアルファベット」(ニュリット・アヴィヴ監督)だった。  当時の筆者はブリュリィ・ブアブレのことをいまだ理解できておらず、その存在を衝撃的に受け止めるのは、真島一郎編『二〇世紀〈アフリカ〉の個体形成』(平凡社)に収められた編者の渾身の論考を読んでからのことになるが、このブアブレの死をめぐる記事に触れたラファエルは、09年、やはりその場に居た、グリッサンの親友ジャック・クルシル(1938‐)の近況を伝えてくれたのだった。  クルシルとはどんな人物か。初めて見たときの様子を筆者はこう記したことがあった。  「その演奏を目にしたのは、2009年12月マルティニックのカルベ賞授賞式においてだった。身長190cmを超えそうな初老の大男。片手にもったトランペットが小さく見える。その古びてくすんだ見た目から長らく愛用しているトランペットであることが分かった。男の後ろの白いスクリーンには、エドゥアール・グリッサンの最後の長編詩「大いなる混沌」が映し出されていた。この詩の朗読と交互に、男はその大きな体躯を前に屈ませて小さなトランペットを吹く。楽器から発せられる音は、もはや音というよりも一個の声だ。ある道を究めた人間が辿りつく境地というものがあるとしたら、それはたとえばこのようなトランペットの奏でる音かもしれない。そう思

『越境広場』第7号

(写真は独立投票日の前後に滞在したニューカレドニアで撮影したもの) 『越境広場』の第7号が沖縄から届きました。250ページに達する今号は、「島嶼の政治性」と「首里城炎上」の2つの特集からなります。最初の特集のほうを中心にここでは紹介します。 「島嶼の政治性」の特集は次のリード文からはじまります。 世界の海洋に点在する島々に振るわれた植民地主義の暴力。掠奪、破壊、挙句の殺戮によって住民を「奴隷」化した島の歴史。世界の覇権をめぐって展開する大国の軍事政策が引き起こした、島の住民の分断と生活や自然の破壊。おうした過酷な国家的暴力から生活の基盤となる土地と自らの生を守るために、抗い続ける人々がいる。苦難の歴史を背負った島々の有り様を語ることで、世界を変革せしめんことを。 軍事の島から共生の島へ、隔ての海から結びの海へ。そのために島は旅する。旅するところに島嶼の政治性が、声が、文体が誕生する。済州島、台湾島、ハワイ島、グアム島、マーシャル諸島、カリブ海の島々、プエルトリコ、そして宮古島、沖縄島。分かちあわれるひとびとと海と抵抗の導線。多島海の新しい地図のために。 今号の特集は、このリード文に導かれるように、宮古島、沖縄島から済州島、金門島という順番で、琉球弧から始まる旅はちょうど地球の裏側のカリブ海、プエルトリコ、さらに記憶のなかの多島海に誘います。 巻頭に置かれた粟国恭子氏の「REMEMBER」と題された宮古諸島をめぐる論考は、地球という星のなかでの人々の生活というスケールの大きな視点で島での人々の生活の営みを捉え、宮古の「沖縄戦」から「戦後」を語り継ぐ、とても大切な作品です。また、カリブ海の島々との関係をもたれている阿部小涼氏の「縫い合わせる島々の政治詩学」が「日本語圏でカリブ海域を論じる」ことを考察しており、共感して読みました。 わたしは「カリブ海の島々」で一文を寄せました。「20世紀末クレオール論の政治的意義とその喪失の今日的意味」というタイトルです。カリブ海フランス領からの「クレオール」のメッセージが日本語の言論のなかでどのように受容され、繰り広げられていったかをたどりました。このようにわたしの多少知るマルティニック島における近年の政治を語る内容ではありませんが、東京で生まれ暮らす一人がカリブ海文学に出会うきっかけとなった「クレオール」がどのようなメッセージとして同