困りました……

わけあって、いまスピヴァクを『サバルタンは語ることができるか』を中心に読み直している。

焦っていて、なかなかスピヴァクの論点が頭の中に入ってこない。焦りに加えて、スピヴァクの議論の難解さが拍車をかけてぼくの頭を混乱させる。分からないことは飛ばしながら読むしかないのだが、スピヴァクの場合、飛ばしながら読んだら何も残らない……。今回の読み直しで改めて痛感させられるのは、マルクスの著作にまともに取り組んだことのないのは、スピヴァク読解においては致命的だということ。

スピヴァクの「サバルタン」論の基本的理解は崎山正毅氏の『サバルタンと歴史』で得ることができる。序章はグラムシ→サバルタン研究グループ→スピヴァクへの理論的展開の見通しの利く優れた評論だと思う。

スピヴァクを読むことの「難しさ」は、人文学を横断する無数の引用と切り詰められた論理によるテクストの難解さばかりでない。スピヴァクのテクストは、読み手である「私」とは一体何なのか、という問いを絶えず発し続けている(少なくともそのように感じてしまう)。知的遊びではなく、本当に「知識人」(知的生産に携わる人間)として「サバルタン」を主題的に考えるならば、スピヴァクの発言とそれを支える倫理をおのずと引き受ける必要があるだろう。

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