〈迂回〉の思考

本日で2007年が終わります。そこで、今後の研究のための覚書。

この一年、小さな雑文や翻訳をのぞけば、まともに研究として取り組んだ対象は、フランツ・ファノンだった。ファノンについては、大学院時代から親しんできたが、どうアプローチしてよいのかが分からず仕舞いだった。

昔はファノンに「熱中」していたが、今ではそうではない。ある友人が率直に述べてくれたファノンへの違和感が、ファノンに取り組む動因となった。

さて、そうしてファノン論を書いてみたのだけど、書いてみて、なかなか大変なことが分かった(予想はついていたけど)。従来のファノン読解とは異なる視座を出したつもりだが、ぼくの論旨では、どうしてもアルジェリア時代のファノンは否定的に評価せざるをえない。最初はそれでよいつもりだったが、やはり『地に呪われたる者』の可能性も救い出さなければならないのではないかと、書いた後に痛感するようになった。課題を残したわけである。

さて、この課題もふくめて今後の研究の手がかりとなるのが、グリッサンの〈迂回〉という発想だ。〈迂回〉は、文字どおり、まっすぐに直線的に進むのではなく、回り道をすることだ。ある目標に向かって直進するのではなく、その目標に回り道をしながら、辿り着くこと。これは、アンティーユの奴隷たちが生み出した〈知恵〉だ。農園主にたいする蜂起よりも、逃亡を選ぶこと。農園主に自分たちの話を聞かれないように、言葉に二重の意味をもたせること(ダブル・ミーニング)。民話の主人公たちがずる賢く生きる動物たちであること。強姦されたら、土を食べて堕胎すること。そうした苦しみと生き抜く知恵が、〈迂回〉という言葉には込められている。グリッサンは、セゼールもファノンもこの〈迂回〉というアンティーユ民衆の〈心性〉のうちで培われてきた戦略のうちで捉える。

セゼールの「ネグリチュード」は、アフリカとカリブ海の断ち切られた絆を回復し、黒人であることを肯定性のうちで捉えるものだった。おそらく当時は、世界観をひっくりかえしてしまうような、革命的な発想だったに違いない。セゼールはアフリカに傾倒した。それは、アンティーユのアイデンティティに近づくための最初の〈迂回〉だった。

フランツ・ファノンも〈迂回〉の実践者である。ファノンは故郷マルティニックを飛び出し、精神科医になり、赴任先のアルジェリアで解放闘争と出会い、FLNの闘士となった。彼は完全に「アルジェリア人」となったのだ。この見事な他者への転身をとおして、ファノンは民族闘争という発想を、故郷にもたらした。アフリカへの傾倒ではなく、カリブ海という土地からその固有の文化を考えること。ファノンの死はこうしてマルティニックへ反響する。

グリッサンによれば、セゼールもファノンも、〈世界〉を求めていた。これは、彼らが無意識のうちにアンティーユ人とはつねに世界との関係にしか存在しないことを知っていたからだ。まさしく彼らは「全-世界」の構成素なのだ。

「全-世界」という、グリッサンの近年のキーワードを使ったが、驚くなかれ。グリッサンはこのことをすでに1962年に言っていた。改めて、途方もない詩人だと思う。

〈迂回〉の思考とは、だから、根本的にアンティーユ的である。それは同時に、〈関係〉の思考だ。

来年度は、〈迂回〉をテーマにセゼール、ファノン、グリッサンを研究したみたいところ。でも、そこに着手する前に、多くの回り道をするはめになるのかも……。

コメント

snaf. さんのコメント…
〈全-世界〉というタームをグリッサンが1962年ですでに使っていたことを初めて知りました。なるほど、勉強になりました!
omeros さんの投稿…
ごめんなさい。書き方が悪かったですが、このタームは、ご存知のとおり、『マアゴニー』が初めてです。1962年の『エスプリ』誌の文章で、グリッサンはファノンへのオマージュを捧げているのですが、そのくだりでグリッサンはセゼールとファノンを世界との関係を求めた先人として捉えています。これは「全-世界」に繋がる発想だと思いませんか? ドミニク・シャンセは「全-世界」のタームの使用は『マアゴニー』が最初だけれども、その発想はすでに『レザルド川』から見出せると言ってましたね。
そういうわけで、「全-世界」の使用は『マアゴニー』から。まぎらわしい書き方ですみませんでした!