新書『日本の思想』



 大学生の頃に「教養」として読んでいなければならない重要な本がある。ここで紹介する丸山真男の『日本の思想』も、よく、本屋さんで社会科学系のブックフェアなどをしていると、必ずあがる一冊だろう。恥ずべきことだが、ぼくはこの本を気にかけながらも、今日の今日まで読んでこなかった。そうした本は、実はたくさんあったりする。

 さて、1961年に新書として出た『日本の思想』は、岩波新書の「青版」。戦後に再出発を果たした岩波新書は、この「青版」から始まり(最初は「赤版」)、70年代後半に「黄版」に転じた後、80年代後半に再び「赤版」に戻っている。数年前から、岩波新書の「赤版」も、新書ブームの煽りを受けて、さらなるマイナーチェンジをはかっているが、数多の新書のなかで、いまだに細々とながらも刷られ続けているこの「青版」は、いまや古典としての風格すら帯びている。

 現在、新書といえば、実学・実用系のものがその大半を占めており、情報を手軽に吸収できるのが最大の売りとなっているのは、少しでも商業的観点をもつ人ならば、当たり前すぎる事実である。したがって、新書の寿命も短い。その意味では、今日の新書とは、時代のなかで消費される「知」の象徴とでもいえようか。

 そんななか、この本は一際異彩を放っている。四つの章から成り立つこの本は、前半が論文、後半が講演という形式を取っており、後者が前者の論述を補うという関係になっている。残念ながら今のぼくには、丸山真男の政治学者・思想史家としての仕事について何かを述べるだけの力量はない。だからここでは、いくつか思いついたことだけを書き留めておこう。

 この本の白眉は、何といっても前半の二つの論文、すなわち「日本の思想」と「近代日本の思想と文学」だ。これらの論文の背後には、いうまでもなく「戦争」の問題がある。すなわち、「近代化」から「総力戦」へと向かう流れを思想的に捉えること、また、どうしてそうした流れが生じてしまったのかを把握することへの意志が、おそらくこれらの論文の底流には存在する。

 これらの論文について少し書きたいところが、それはまたの機会に回し、今日は後の二つの講演について指摘しておきたい。思うに、丸山真男という人は話が上手だった人だ。この講演を読むとつくづくそう思う。どういうことか。「思想のあり方について」では、有名な「ササラ型」と「タコツボ型」の区分が出てきて、日本がいかに制度的にも思想的にも「タコツボ」であるのかが述べられ、「〈である〉ことと〈する〉こと」では、日本における「伝統的」思考が「である」に基づいたものであり、「する」という思考の契機が欠けているということが様々な事例と共に語られる。どちらの講演でも、共通するのは、キーワードを軸に話を組み立てている、という点だ。

 丸山の場合、「タコツボ型」や「する」は、彼の思想を平易に伝えるキーワードである。そしてそれらを「ササラ型」や「である」と対比させることによって、すなわち、比較を通じることによって、「タコツボ型」なり「する」という概念を立体的に浮かび上がらせ、その概念を様々な日本の事例で肉付けすることにより、これらの概念をとおして、「実体」としては把握できない、「社会」なり「思潮」なり「歴史」なりを把握しうる、そういう仕掛けを作っている。したがって、聴衆や読み手には、基本的に何の予備知識はいらず、丸山の提示する「タコツボ型」や「する」というキーワードのイメージがつかめさえすれば、話がすっと入ってくる、そういう語り方をしている。

 話し上手で概念のイメージを伝えるのに長けた人、これがぼくの丸山真男にたいする最初の印象だ。

コメント

匿名 さんのコメント…
書店に並びやすいという新書もブームであるだけにかえって、生き残っていくのは難しいのでしょうね。『日本の思想』まだしばらくは、古典として読まれていくのかと思います。いろいろ参考になりそうですし、これから読んでみようと思います。
omeros さんの投稿…
参考になると思いますので、機会を見つけて読んでみてくださいね。『日本の思想』の入門書として以下のものがありますので、あわせて手にとってみたらいかがでしょうか。

宮村治雄『丸山真男「日本の思想」精読』(岩波現代文庫、2001年)
haru さんのコメント…
ありがとうございます。ぜひ読んでみたいと思います。