「実録!連合赤軍 あさま山荘への道程」

昨日は映画の日。テアトル新宿で若松孝二の新作「実録!連合赤軍 あさま山荘への道程」を観た。


「あさま山荘事件」とは、1972年、武力闘争による革命を目指した連合赤軍メンバーが浅間山荘(群馬県浅間山)を「占拠」し、警察を相手に10日間の攻防戦を繰り広げた事件。当時は連日連夜その模様が放映されたという。1975年生まれのぼくには、この事件の記憶は当然ないのだが、昭和史の一コマとして、テレビでその模様の断片が放映されることもあったりして、何となくは知っていた。

この「事件」にかんしては、若松作の前に、「突入せよ! あさま山荘事件」(2002年)という映画があったりして、それなりの話題を呼んだようだが、これは山荘に「人質」となった「無垢な市民」を守るという警察(権力)側の視点から描かれているものであるようだから、関心をもてなかった。

「あさま山荘事件」はよく日本の左翼運動の「敗北」を象徴する事件だといわれる。問題は、この籠城「事件」よりも、赤軍派が山荘へ追い込まれる前の、山岳ベースで起きた凄惨な「私刑事件」の方にある。関東赤軍と京都の革命左派の二つの組織からなる「連合赤軍」は、永田洋子(革命左派)と森恒夫(関東赤軍)の二人を指導部とした、武力闘争による革命を目指す共同戦線だった。「彼ら」は山岳にアジトをもち、そこで店を「襲撃」して入手した銃をもって、軍事訓練を行い、きたるべき「革命」に備えたのだった。しかし、その過程で、逃亡者が出る。非合法組織にとって権力側への密告ほど危険なものはない。彼らは逃亡者を処刑し、さらに赤軍兵士としての自覚をメンバー各人がもつようにと、「総括」を一人ひとりに強要してゆく。「総括」とは、自己の思想的点検として過去の自己を否定するというものだが、この「総括」の論理がエスカレートし、指導部は「総括」を外在化させることになる。つまり、「体罰」である。しかも、これは「体罰」よりも「私刑」に近い。こうして、この「総括」の過程で、12名の赤軍メンバーが仲間の手で次々と殺されてゆくことになる(ところで、ぼくがもしこのなかにいたとすれば、間違いなく真っ先に殺されている。ぼくはそういう人間だ)。

若松映画の見所は、この「総括」へといたる過程の描き方だろう。とくに永田洋子役の役者にはすごみを感じた。

おそらく若松の映画の意図のひとつは、報われぬ死を遂げた赤軍メンバーたちの鎮魂にあると思う。「あさま山荘」の実況中継は、まさにこの事件が「見世物」として消費される過程であったと考えられるのだが、警察側はこの中継をとおして、権力=市民の保護者、過激派=社会の敵という構図を完成させた(観ていないが、、「突入せよ! あさま山荘事件」はこれの反復だろう)。若松の映画はこの見方を覆そうとする企てだ。反「見世物」としての映画。だから最初に、「この映画は事実であり、一部フィクションが含まれる」という字幕を入れた。これはもちろん「このドラマはフィクションであり、実際の出来事とは関係ありません」というような定型を反転させたものだ。

ぼくにとって、この試みは文学における桐山襲のそれを想起させる。

ただ気になるのは、警察による山荘の強行突破の2月28日に、もっとも若いメンバーに「おれたちは勇気が足りなかったんだ」というフレーズを繰り返し言わせている点だ(それが「実際」のせりふであるかどうかは問題ではない)。

ここには、組織の論理を内面化し、総括という名の処刑によって自らの手を汚し続けたメンバーたちにたいする、作り手の批評的意識が見てとれる。直接には、この「勇気の足りなさ」は、指導部(森、永田)にたいして共同で疑義を呈することができなかった「無力さ」を自己批判することばであると思われるが、この言葉を吐いてしまった途端に、連合赤軍の経験の強度は弱められてしまったのではないか。

桐山の『都市叙景断章』にはこんな台詞がある。「この世界の突端に身を晒すこと、自分自身の身を晒すこと、それをしないとしたら私たちはいったい何のために生きているの?」桐山の感受にはロマンチックな部分が多分にあるが、この「赤軍的」経験を「昇華」させることばとして、ぼくには愛着がある。これが桐山なりの鎮魂と「赤軍的」経験の意味づけだったのだ。

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