『沖縄戦後詩史』ほか

「沖縄」について書かれたものに、個人的理由から関心を持っている。少し前からそうだったが、最近は書棚の一部を「沖縄」関係の書籍が占めるようになった。

そんな一つに、大城貞俊『沖縄戦後詩史』がある。編集工房「獏」(「山之口獏の『獏』」)というところから1988年に出版されている。古本で入手したものだ。自らも詩人である著者による「戦後」の沖縄の詩の展開を示したもの。岡本恵徳は現代沖縄の文学史を小説を中心に素描したが、本書はそれを詩の分野で試みたものだ。沖縄の詩の展開が、年代ごとに、その時代を特徴づける詩人と共に記述されており、この分野を知らない読者にとっては、たいへん貴重な本だと思う(そもそも、類書は存在するのだろうか)。巻末の資料も親切だ。この本でさまざまな詩人の名前を知った。これを手引きに、清田政信の詩集を購入。また、これはぼくの興味からだが、中里友豪の『コザ・吃音の夜のバラード』を取り寄せた。近々、届く予定だ。

さて、本を取り寄せたといえば、一月ほど前に注文したフランス語の本が届いた。こんなものを買った。

1 リリアン・ケステロート『セゼールとサンゴール、大西洋の架け橋』(2007)
2 ダニエル・ラシーヌ『レオン=ゴントラン・ダマス 人と作品』(1983)
3 『シュッド/ノール 特集:フランツ・ファノン』(2008)
4 エドゥアール・グリッサン『グレンドン講演』(1990)
5 レオン=ゴントラン・ダマス『色素/神経痛』(2007)
6 『ポルチュラン 特集:ネグリチュード、アンティヤニテ、クレオリテ』(1996)

2をパラパラとめくっていて、ダマスがフランス留学時代にLangues Oで日本語を学ぼうとしていたことを知る。1929年のことだ。ダマスは、セゼールとサンゴールと共にネグリチュードの詩人としてよく言及されるけれども、その詩作や人生については、じつはあまり知られていない。「しゃっくり」という詩をとおして、ひょっとして彼には言語的葛藤があったのではないかという関心から、二冊取り寄せてみたが、残念ながら、一瞥したところ、そうした言及は見出せない。年表には6歳まで「吃音」とあるが、その理由は幼年期の母の死や祖母の死がおそらく大きいのだろう(少なくとも年表からはそれ以上のことはうかがえない)。それにしても、1983年出版の本がまだ入手可能なのは驚きだ。

3の『シュッド/ノール』はファノン特集号。今回の特集はアルジェリア時代のファノン、とりわけ精神科医としてのファノンに焦点が宛てられている。ある時期、精神分析に傾倒したが、精神分析独特の概念や、テクストと臨床との関係をめぐって悩み、現在は遠ざかっている。90年代のファノン批評は、精神分析(特にラカン的)批評をベースに英語圏で活況を呈した感がある。そうしたものも追おうとしたが、しかし、その高度に抽象化された批評言語について行けなかった。精神分析的言語と他の理論的言語(主に哲学ベース)との接合の合理性などを検討する力をもっていなかった。こうした力不足から、ファノンの精神科医としての記述は留保されたまま、現在に至る。フランス語圏ではファノン研究は盛んではないそうだ。それに比べ、日本では比較的参照されることが多い。ファノンにたいする思い入れが強い人が多いが、ぼくはそこから距離をおきたい。


 

コメント

castorp さんの投稿…
精神分析の読書会しましょうね。ぼくはコギャル時代にフロイトの『精神分析入門』を読んで、世の中にこんな面白い本があるんだとびっくりしました。読後には世界が一変してとてもクリアーになったような、視界が晴れて、みえてきたみえてきた、っていう感じ。難しいことはおいといて、そういう面白いっていう感覚を求めて読めば、きっと楽しいよ !
omeros さんの投稿…
そういう学びの驚きを大切にしたいです! それにしても、コギャル時代にフロイトを読んでいるのだからすごいですね。コギャルのころ、ぼくは渋谷と原宿にいました!