『〈明るい部屋〉の秘密』雑感

『反写真論』の記述に刺激を受け、図書館で今度は青弓社編集部編『〈明るい部屋〉の秘密』(青弓社、2008)を借りて、読み進めてみる。これは日本語訳『明るい部屋』の出版以後の同書を対象にした論考を収録した論集。冒頭におかれた青弓社編集部の編集企図は興味深い。以下、引用。

「『明るい部屋』は浩瀚な書物でも、難解な文体で書かれているわけでも決して無い。『明るい部屋』の主題は写真であり、写真論ではいまだに最重要文献であり続けている。」「『明るい部屋』以降の写真論は、ある種の停滞状況に陥っている感もある。特に日本では、『明るい部屋』以降に刊行された写真論の翻訳や導入が充分におこなわれてきたといいがたい。写真論といえばいまでも『明るい部屋』は最右翼である。しかし、『明るい部屋』が写真論としていかに傑出した書物だとしても、もうそろそろそれとは別のパースペクティブを切り開く必要もあるのではないか。」(12頁)

「写真論ではいまだに最重要文献であり続けている」というのは印象的に分かるけれど、「写真論といえばいまでも『明るい部屋』は最右翼」ということは、どういうことなのだろう。非常に保守的な写真論であるということなのだろうか。最左翼には、ではどのような写真論が置かれるのだろうか。ベンヤミンか、ソンタグか、それとも中平卓馬や西井一夫だろうか。ともかく、気になるところである。

さて、各論は『明るい部屋』に即したテクスト読解が主流で理路整然としていて読み応えがある。けれども、どちらかといえば写真論的パースペクティブで『明るい部屋』を論じたものを期待したかった。そうした読者に応える議論をしているのは、最後に置かれた長谷正人氏の論考である。全体としては、バルト研究者やフランス文学・思想系の研究者による『明るい部屋』のテクスト読解であり、この作品の特異性やバルト自身の思想のなかでの『明るい部屋』の位置づけを知るには有意義である。各論者には自明のことなのかもしれないが、写真批評における『明るい部屋』の受容を明らかにするような議論が明確になったうえで、『明るい部屋』の写真論的位置づけがなされていると、後続の私のような素人には親切である。

追記:「最右翼」という言葉にひっかかったけれども、これは辞書にある慣用表現で「《旧軍関係の学校では成績順に右から並んだところから》競争者の中で最も有力なもの」を指すようだ。こちらの思い込みが反映されてしまって、ちょっと恥ずかしい。

コメント

castorp さんの投稿…
『〈明るい部屋〉の秘密』は本屋で見かけましたが、そういう本だったんですね。バルトを読んだ後で、読ませてもらいます。
omeros さんの投稿…
コメントありがとうございます。このところ写真論関係の文献を勉強しているのですが、やはりベンヤミンの『写真小史』『複製技術時代の芸術作品』は白眉ですね。岩波現代文庫の多木浩二による『精読』も理解にとても役立ちました。整理がついたらこちらも感想を書いてみます。