クレヨル・ファクトリー


ようやく来た。ひとまずパリである。
諸事情で遅れていた渡航もつい先日果たし、今はマルティニックの経由地のパリに数日滞在している。
昨日は友人のOさんに教えてもらった、ラ・ヴィレット公園で開催している「クレヨル・ファクトリー」を観に行った。観に行った、と言っても、閉館1時間前に駆け込んだので、それぞれの作品をゆっくりと鑑賞する時間も余裕もなかった。
この展覧会のコンセプトは「芸術家がクレオール・アイデンティティを問う」という、意欲的なもの。カリブ海、インド洋の若いクレオール・アーティストがそれぞれの仕方で、作品を通じて「クレオールであること」を問うている、とひとまず考えてよいだろう。出品点数や作家数が多いため、作品同士の統一性は感じられないものの、それを「航海」「ジャンルの混乱」「想像の共同体としてのアフリカ」「黒人であるとは?」といったテーマによって分類している。各所にビデオがあり、どれも面白そうだったが、見る時間はなかった。
撮影禁止だったため作品を具体的に示せないのが残念だが、とくに興味深かったのは、ブードゥー教をモチーフにした作品群。ブードゥーの聖霊や記号を描いた大量のドラム缶が圧巻だった。
また、この展覧会はスチュアート・ホールの思想に着想を得ているそうだが、カリブ海の思想家のなかで大きな存在感を今回の展覧会で示していたのは、間違いなくシャモワゾーだった。シャモワゾーの『支配された国で書くこと』は、展覧会の随所で引用されていた。この展覧会では、クレオールをめぐる作家の言葉が随所に引かれていたが、前記のシャモワゾーの言葉が全体の半分を占める印象で、ややバランスを欠いていると思えた。
クレヨル・ファクトリーを見ながら思い出したのは、昨年東京近代美術館で行なわれていた沖縄プリズムだった。ファクトリーでの出品作品はすべてが良いとは思わなかったが、それでもクレオールの多様性・多面性を示していると思えた。その点、沖縄プリズム展の作品が日本-沖縄の関係性のなかにだけしか示されていないのが、かえって沖縄の困難――端的にいえば「関係」の思想の困難――を際立たせているように感じられるのだ。

コメント

norah-m さんのコメント…
わー、さっそくの充実したパリ・レポート、ありがとう。
短時間の鑑賞とはいえ、シャモワゾーの存在感など、クレヨル・ファクトリーの具体的な雰囲気など伝わってきます。
私は高層ビルに奴隷船の奴隷の図を配した単色の版画が印象的でした(ネット上で見ただけだけど)。
アニブエにも今度ぜひ立ち寄ってみたいです。
omeros さんの投稿…
norah-mさん、コメントありがとうございます。kreyol factoryのカタログを買いました。また、norah-mさん用に、ポストカードと小さなパンフレットを入手しましたので帰国したら差し上げます。
今日マルティニックに到着したのですが、クレヨル・ファクトリーを観たマルティニック人の感想を聞けました。いわく、パリではクレオールの認知度は低いので、こうした試みがパリで行なわれること自体が「挑発的」であるし、意義深いとのことでした。また、シャモワゾーの引用が多いのは、彼の方がグリッサンよりも分かりやすいし、メディアをとおして認知度もあるからだ、ということでした。半分は納得できる答えかな、と思います。