「ベケ」問題


マルティニックの地域新聞「フランス・アンティーユ」5月13日付第6面の論争欄に考えさせられる記事を見つけた。例のグアドループとマルティニックでのストをめぐる議論である。
興味を引いたのは、「ベケたちが実際に占めている地位」(La vrai place des Bekes)という見出しの記事である。ロジェ・ド・ジャアム(Roger de Jaham)という人の発言である。
「ベケ」はカリブ海での白人入植者の子孫を指す、特殊な用語であり、おそらく今回のストライキでフランス本土でも広く知られるようになった言葉だ。今回のストライキは、高すぎる物価や失業問題などにたいする島民たちの怒りの表れであると一般には言えると思うが、その背景には、奴隷制度という、重苦しい過去がある。
図式的に単純化すれば、奴隷制度においては、支配する側がベケであり、支配される側にいたのがアフリカから連れてこられた黒人奴隷だった。この構図は、じつは昔から変わることなく今でも脈々と続いており、ベケたちは相変わらず島の権益を牛耳っており、それに対する怒りが島民たちに直接行動を引き起こした、というのが、今回の出来事を説明する際の通念であると思われるし、ぼく自身は少なくともそう捉えていた。
しかし、ジャアム氏によると、この論理はかなり性急であり、歴史に反する。現在マルティニックには1500人から2000人のベケがいる。しかし、そのなかで先祖の土地を脈々と受け継いでいる所有者は、まずいないという。一つの土地を3世代続いて所有する家系は、マルティニックでは稀であるという話だ。
その点で、島の9割以上の企業をベケが握っているというサッカー選手リリアン・テュラムの発言は、まったく根拠を欠いている、というのがジャアム氏の見解。たとえば、マルティニックの8つある大型スーパーマーケットのうちベケが握っているのは2つであり、市場の13パーセントを占めるに過ぎない、とジャアム氏は言う。
傍から見ていると、今回のストライキは、階級闘争の再燃というか、対立図式を鮮明化させる事態であったと思えるし、実際、この論争欄の別の論者はまさにそうした論調で書いている。白人対黒人、ブルジョワ対プロレタリアートという構図があまりにはっきりとしているというか、あえてそうした対立図式を強調しているように見える。その点、ジャアム氏の発言は、物事をそのように単純化すべきではないという警鐘のように部分的には読める。
ジャアム氏の発言を読むかぎり、今日のベケにはかつてのような権勢はなく、むしろマージナルな存在であり、さらにまた、支配者として振舞ったかつての先祖たちの歴史を悔いてさえいる、ということだ。
現段階では、この発言を正確に判断する知見をぼく自身は有していないため、アンティーユの現状を考えさせる、興味深い意見として受け止めるだけであるが、少なくとも、ストライキを行なった島民たちはこの発言を読んで、納得するとは思えない。おそらく政治闘争を行なう側の人間にとっては、こうした発言はあまり重みをもたないのではないか。島民もベケを他者として認知し、過去を清算した上で協調してゆこう、というジャアム氏のメッセージは、敵対性の政治を行なう人々にたいして、はたしてどれだけ有効なヴィジョンを示せるのだろうか? とくに、生活の水準、そして感性の水準にまで降り立ったところで、島民を納得させられるのだろうか? 紡ぐべき言葉は、感性の次元に寄り添う言葉であるように、いまのぼくには思える。


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