モンショアシとラクゼミ

再びアンティーヤ誌の記事から。以前来日したことのある詩人モンショアシを表紙にした5月号その1。
やはり興味を引くのはモンショアシへのインタビュー記事。現在詩人はラクゼミ(LaKouZemi)という新たな議論の空間を形成している。ラクゼミは、サンタンヌ(Sainte-Anne)で定期的に行なわれている対話と意見交換の場だ。掲載されている写真を見る限り、会場はどうやら闘鶏場らしい。この集団的な議論の成果は、ラクゼミ名義ですでに二冊の本として出版されている。明らかにクレオール語と思われるラクゼミの意味は、記事のなかでは説明されていないため、まだよく呑み込めないが(クレオール語の辞典は日本から送ったものの島の詳しい地図とともにまだ手元に届いていない)、ラクゼミの主催者モンショアシは、詩人の目で、私たちの生きる現代世界のうちに、果てしのない人工的生産活動とテクノロジーによる支配の論理を読み取る。詩人は、これを「蓄積的論理」と呼ぶ。冨の蓄積、知の蓄積、技術の蓄積……。あらゆるものが「蓄積」に奉仕しているのだ。モンショアシが、マルティニックという小さな島の、漁村の闘鶏場という小さな場所から編み上げようとする集団の言葉は、まずは現代世界の論理(それは西欧的論理として詩人の目には映っている)を拒絶することから出発する、新しい世界観の構築を求めている。そして、その言葉は、マルティニックの政治・経済・社会状況のなかで捉えたときには、フランス本土からの依存の脱却を目指すものである。

ラクゼミの運動は興味深い。ラクゼミは「大学人」の集まりではない。少なくとも写真や誌面から想像するかぎり、参加者は、老若男女、職業を問わず、島に暮らしている「普通の」人々だ。「有機的知識人」はマルクス主義の意味論的負荷がかかりすぎるので、ここでは単に「新たな言論体」と言っておこう。この新たな言論体が島の言葉を今後どのように作り出してゆくのかが、興味深いところだ。

最後になったが、モンショアシはもともとクレオール語による詩作から出発した詩人であり、詩をとおした民衆的なるものの表現をつねに課題としているように見える。Monchoachiというペンネームは、逃亡奴隷の名前からとったもの。来日時の早稲田大学での講演の抄訳が「現代詩手帖」で一度紹介されたが、おそらく紹介はいまだそれだけだろう。今後、紹介されるべきマルティニックの書き手の一人である。

2010年3月20日追記
モンショアシの紹介がなされたのは、「現代詩手帖」2004年8月号だった。詩人の家で現物をはじめて手にした。この号には、立花英裕先生による講演の抄訳のほかに、恒川邦夫先生の訳によるモンショアシの詩、評論、および解説が収められており、まとまった紹介となっている。現物を手にとるまでは知らなかった。その場で、日本語訳を朗読したが、言葉の硬質さが美しい訳だった。

コメント

castorp さんの投稿…
密度の濃い毎日を送っておられるようで、感服いたします。いまは少し忙しくてなかなか連絡できませんが、またメールします(感想も書きます)。
omeros さんの投稿…
ありがとうございます。見ること、聞くことが興味深いことばかりで、毎日楽しく過ごせています。仕事でとてもお忙しいでしょうが、お手すきのときにでも、また連絡をいただければうれしいです。島の写真も少しずつ撮っていますので、今度お送りします。