クレオール語についての授業(続)

クレオール語についてのリレー授業の二回目のことも忘れないうちに書いておこう。

ラファエル・コンフィアンによる二回目の授業は、クレオール語にたいする各階層の態度を歴史的視座において捉えるというものだった。1620年代から70年代の時期には、カリブ族、黒人、白人のあいだの共通言語として形成され話されてきたクレオール語は、その後、歴史的段階ごとに各階層によって否認される、とコンフィアンは説明した。第一段階は、ベケによる否認。第二段階には、ベケと黒人奴隷のあいだから生まれた混血児(ムラート)が社会階層をなすにつれ、支配層のベケを模倣し、クレオール語を否認する段階が来る。第三段階は、奴隷制度廃止後(1848年以後)、世俗化した教育のもと、小学校でフランス語を教育される黒人たち自身によって否認される段階。さて、こうなると、もはやクレオール語の担い手はいないようだが、コンフィアンの説明によると、最近までクレオール語の世界で生きていたのは、奴隷制度廃止後に移住し、大農園で働いたインド系と中国系の人々である。しかし、彼らもやがて20世紀中頃にはほとんどが学校教育を受けるようになり、いわば「フランス化」してゆく。大きな話を大雑把にまとまめているので、この記述は正確さにかなり欠けていると自覚しているが、それでも、コンフィアンのクレオール語の捉え方にかんしてはおおよそ分かっていただけると思う。コンフィアンの最近の小説のひとつに、Case a Chineというタイトルのものがあるが(未読)、中国系移民にたいする彼の関心もまた、クレオール語とクレオール文化にたいする絶えざる情熱にあるのだと勝手に納得した。最後、冗談か本気か分からないが、(マルティニックで)クレオール語を活性化させるにはハイチ系の移民を積極的に受け入れることだ、というような発言もしていた。

その後も授業は続くのだが、この後別の教師の授業(クレオール語の綴り方教室)に一度出た後、やめてしまった。夜間授業のため、バスがなくなる恐れを心配しなければならなかったからだ。マルティニックでは車がないと活動範囲がかなり狭まれる。バス停の時刻表は誰かにはがされたりして、どのバスがいつ来るのかが分からない状況である。幸い時刻表があるにしても、時刻どおりにやってくる方が珍しい。交通手段は、個人的に大きな問題となっている。

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