鳥の時間

ベランダから見えるバラタの森にはたくさんの野鳥が棲んでいる。マルティニックでよく見かける鳥はキュイスカル(quiscale)という小柄な黒色の鳥である。ハチドリもよく飛んでいる。タカのような猛禽類の鳥も生息している。ベランダから森を観察していると本当にいろいろな鳥を見る。とくに体の小さな鳥たちは、一本の枝に長くとどまることはなく、絶えず枝から枝へ、木から木へと渡り飛ぶのだが、そうした鳥たちの動きを見て、鳥の知覚する時間について考えた昼時があった。当たり前だが、鳥の動きはたいへんすばやく、普通の人間の知覚では羽を広げて飛ぶまでの動きを肉眼で追うことはできない。しかし、この動きは、鳥の知覚にとっては、人間が知覚するほどの速さを伴わないと考えられる。というのは、人間にとって歩くことが基本的行為であるように、鳥にとって飛ぶことは普通のことであるからである。そのように考えれば、人間が知覚するほどの目まぐるしい速さは人間が鳥の動きにたいして感じる人間的なものであって、鳥の知覚からすればごく普通のことであると考えられる。だとすれば、人間の時間感覚と鳥の時間感覚はおのずと異なってくるに違いない。物理的には同じ時空に存在する「私」(ベランダにいる)と「鳥」(バラタの森にいる)は、まったく異なる世界を生きている、ということになる。「私」の目の前を飛ぶ鳥の動きは「私」には一瞬のものであると感じるが、この時間感覚の差異を「私」という人間の平均的感覚に翻訳しようとすれば、それは1時間になるかもしれないし2時間になるかもしれない。そのように考えると、鳥はそれ自体で「私」には把握不可能な小宇宙をもっている。けっきょくそのように考え続けると、あらゆる動植物が人間にとって異質な諸世界を体現しているという認識に辿りつく。しかし、バラタの森のいまだ見分けがたいさまざまな木々や鳥たちは、こうした認識とは関係なく、森に存在する。その多様な存在を(人間的に)感じ、考えることは、このマルティニック滞在にとって重要になるに違いない。ところで先日部屋のなかに一羽の小鳥が迷い込んできた。おそらくSucrier(砂糖壷のこと)と呼ばれる鳥の仲間である。甘いものが好きだからなのか、よくベランダに遊びにくる。写真の鳥は窓におもいきり頭をぶつけて倒れこんでしまったものの、やがて元気を取り戻し、森のなかへ帰っていった。

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