発表とベルナベ先生の介入

ロドルフ・エティエンヌの発表は、セゼールにおけるクレオール語の問題をめぐる発表で、開口一番に言ったのは、これが「論争的な主題」であるということだった。発表は3部構成であり、第1部ではクレオール語をめぐる歴史の概観、第2部では『クレオール礼賛』の著者たちによるセゼール批判とその論点の紹介、第3部ではセゼールとクレオール語の関係の再評価である。

論争的な性格が現れ始めたのは、第2部から第3部にかけてだ。クレオリテの作家たちによれば、セゼールはクレオール語にたいして完全に否定的であった。これが元来の主張である。しかし、ロドルフはこの主張に異議を唱え、セゼール主義者やセゼールの発言などを示しながら、セゼールがクレオール語にたいして肯定的にも考えていたのだ、という主張を行った。

その後、議論の時間が始まった。最初は「なぜクレオール語で発表しないのか?」という質問。これにはクレオール語を解さない聴衆の問題、フランコフォニーの場であるから、と述べ、クレオール語は島や地理を超えたところで連帯が可能である、という趣旨のことを述べた。その後、ベルナベ先生が質問をした。しかし、これは質問ではなく、怒りそのものだった。ベルナベ先生は体を怒りで震わせながら激しく話し始めた。(以下に再現するのは覚えているかぎり、理解したかぎりの論旨。論旨の順序はこのとおりだったかどうかもはや覚えていない。決して正確な記録ではないので、あしからず)

「講演者さん、ご発表は完全に破綻している。論証から何から何までむちゃくちゃです。結局、あなたはフランス語が好きなのですね……。フランス語はここでは植民者の言語です。クレオール語で通じ合うですって? そんなのは理想論です。OO島でクレオール語が話されていると言ってましたが、その島ではクレオール語によって社会が成り立っていないじゃないですか……。セゼールがクレオール語に肯定的だって? あなたが引用しているのはセゼールの言葉尻だけです。実際はまったく違います。セゼールは最初から最後までクレオール語を否定していた。いいですか、クレオール語にたいする考えをここまで変えてきたのは、われわれなのです。セゼールの時代には、そんなことは無理だった。われわれの時代になって、ソシュール言語学、構造主義の流れの中でようやくクレオール語の研究ができるようになったのです。われわれの時代にとっては言語学こそが重要だったのです……。講演者さんは「クレオリテはネグリチュードの一部(departement)である」というインタビューの発言を引かれましたが、まったく違う。逆です。「ネグリチュードの方がクレオリテの一部」なのです。われわれは、インド、アフリカ、アジアといった様々な要素から構成されているのですから。セゼールが「一部」(departement)なんて言葉を使うのは、「(海外)県」(departement)が好きだからですよ……。あなたの話はデマゴギーです……。トゥス・クレオールは、「祖先を共有する」というようなことを言っているようですが、パレスチナ問題を見れば分かります。無理です。ただトゥス・クレオールには一つの意味があります。それは……」

ゆうに15分以上は話したと思う。その言葉には重みがあった。ベルナベ先生のこの発言の後、司会者が介入し、その後講演者のロドルフが発言。冷静だった。発表内容に多少の誤りがあることを認めたうえで、ベルナベ氏とは世代が違うことを強調した。たとえばロドルフにとっての母語はフランス語の方だった。フランス語を家では話したが、周囲の大人の言葉はクレオール語だった。ロドルフのクレオール語への接近はそこからだった(これはラファエル・コンフィアン氏の経験に近いだろう)。講演者の応答は誠実だった。

しかし、その後の両者のやり取りは平行線上を辿った。ロドルフも最後には「あなたの話こそデマゴギーだ」という始末。議論の終了後、ベルナベ先生とロドルフが話し合う姿を見たが、ロドルフの話ではベルナベ先生は一切理解を示さなかったようだ……。ベルナベ先生はロドルフを最後まで「講演者さん」(Monsieur le conférencier)とだけ呼び続けた。

会の終了後、何人かの人と話したが、中年のベケの女性が「私はベケ、蔑まされる、罪深いベケです」と自嘲して言った後、「でも私はマルティニックの人間、フランス本土は異国なのです」と付け加えた。この言葉もまた、ベルナベ先生の発言と共に忘れられない。強く印象に残る一夜だった。

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