ディアマンの午後

木曜日、エドゥアール・グリッサンに会いにディアマンに行く。いまだに運転できないため、フォール=ド=フランスから遠く離れた南の町ディアマンに行くには、乗り合いタクシー「タクシコ」を利用するしかない。そういうわけでエドゥアール・グリッサン通りの除幕式を見に行った日と同じように、タクシコでディアマンに行った。

グリッサンの家はディアマン市街からやや離れたところにある。道順を知らないため、連れ合いのシルヴィーさんが市役所前まで迎えに来てくれた。

家に着くと、テラスの椅子に座り、主が来るのを待っていた。この家のテラスから眺めるディアマンの海は本当に素晴らしい。テラスの正面からはロシェ・ドゥ・ディアマンと呼ばれる岩肌の小さな島が見える。光が海面を照らしていた。

グリッサンの調子はよくなかった。ひどい頭痛に悩まされており、あまり寝られずにいるという。薬を飲んで痛みを和らげようとしていた。それでも、こちらのたどたどしい話に耳を傾け、話を聞いてくれた。最初に翻訳の件でいくつか質問を投げかけた。この質問をとおしてぼくが学んだことは、理解することよりも、見抜くことであった。詩的直観が大事なのだ。直観が働かなければ、グリッサンの詩学に近づくことはできない。そのことを身をもって味わった。

こんな質問を投げかけてみた。マルティニックを花で喩えるなら何か。たとえばセゼールの政党はバリジエを選んだが、もし喩えるなら何か、と。詩人はこう言った。マルティニックを一つの花で喩えることはできない。無数の、繁茂するさまざまな花々がマルティニックだ、と。

その後は雑談をした。船が好きで、最近はもっぱら船で移動をするという話を聞いた。飛行機は3時間が限度。数日間をかけて太平洋を横断し、船のなかで仕事をする。それは詩人の"lenteur"(穏やかさ、緩やかさ、遅さ)への愛着でもある。速度を優先する飛行機よりも、船の"lenteur"を好んだ。また、東京は好きではないが、東京好きになった当時10歳の息子マチューにこう言われたという。東京はまさにグリッサンのいう「世界という混沌」(chaos-monde)ではないか、と。10年前に来日した思い出として、そのことを楽しそうにしゃべってくれた。

庭にはいくつもの木が植えられている。そのうちの一つに「旅人の木」というのがある。扇状の葉をした木であり、根は水を含んでいる。疲れた旅人がこの根から水を得るわけだ。5年前にグリッサン自身が植えたこの「旅人の木」を眺めながら、静かな一時を過ごした。

追記:昼食の際にパンノキの実、クシュクシュというヤム芋の仲間を食した。

コメント

ban さんの投稿…
"lenteur"(穏やかさ、緩やかさ、遅さ)への愛着、という言葉に目をひかれました。グリッサンとの会見のなかで、この言葉が光ります。
omeros さんの投稿…
グリッサンという人物そのものが「グリッサン」という書物であるように思えてなりません。船が好きだ、という雑談の言葉のなかにも、グリッサンの詩学があるのですね。学ぶことばかりです。