マルティニックの地域圏議会選挙

このブログで紹介してきたマルティニックの政治については、日本語読者のなかで関心のある人は多くても50人未満、このブログを見る人のなかではわずかに数人だと思うのだが、マルティニックへの偏愛から今後も紹介したいと思っている。

さて、旅立ちの日の14日は、マルティニックの地域圏議会の第一回投票日だった。前日、家に立ち寄ってくれたマリウスの話では、マルティニック進歩党の党首セルジュ・レッチミーが勝つだろう、ということだった。これまでの地域圏議会の顔はマルティニック独立運動の党首アルフレド・マリ=ジャンヌだった。マリ=ジャンヌは今回、74条へのステイタス改革の是非を問う、1月10日の住民投票の立役者だった。そしてこの住民投票が決定してから、昨年来、政治的駆け引きがずっと続いてきたのだった。

ところで、マルティニック進歩党(PPM)といえば、こちらでは有名な政党である。なにしろ、エメ・セゼールが作った政党だからだ。結党以来、マルティニックの「自治」をスローガンに掲げてきた。いまのレッチミーはセゼールの懐刀だった存在で、セゼールが政界を引退したさいに、レッチミーにすべてを委譲したそうだ。そういうわけでレッチミーは、PPMの党首であり、フォール=ド=フランス市の市長である。

そのレッチミーは、住民投票が決まったとき、まっさきに74条への「否」を表明したのだった。以前も書いたと思うが、PPMの政治的立場は「中道左派」とでも呼べるだろう。対して、マルティニック独立運動(MIM)は文字通り、ナショナリスト政党で、フランスからの独立を政治目標に掲げている。だからMIMは「極左」か。

このため、PPMの74条への「否」表明は、マルティニックの左派陣営での分裂をもたらす結果になった。独立派の政党は74条派にまわり、それ以外の左派政党は反74条派にまわった。これに右派政党が加わり、1月10日の住民投票では、マリ=ジャンヌは惨敗した。(ところで、マルティニックの知識層には、独立派へのシンパシーをもつ人々が少なくない。ただ、その思いがストレートにMIM支持となるわけではない。海外県化以降のマルティニックの政治史は非常に複雑であるのだ。)

1月24日の住民投票は、その意味では政治的争点は存在しなかった。2回目の住民投票では、73条の枠内にとどまったところで、二つの議会の融合を目指すかどうか、ということが争点だった。左派から右派まで、これには「諾」。

いつものように話が脱線してしまったが、このような政治的背景があっての3月14日の選挙だった。21日は二回目の投票があり、結果として、レッチミー率いるPPMが、マリ=ジャンヌの独立派連合を下した。こうして議長は、セルジュ・レッチミーとなった。

ぼくはどうやら政治センスがあまりないようなので、下手な分析は避けるべきだと最近思うようになったが、一つ、前に誰かが言っていた発言を書き記しておきたい。その人によれば、今回の1月10日の投票はあまりに急ぎすぎたし、この決断をサルコジ大統領に急かされたのではないか、という趣旨だった。なるほど、と思う。

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