クレオールとは何か

最近、思うところあってカリブ海文学の基礎勉強をはじめることにした。カリブ海と一言にいっても、ぼくの研究は今のところフランス語表現の 作家に限られているのだが、それでも勉強をはじめて作家の数の多さにびっくりしている。マルティニック、グアドループ、ギュイヤンヌ(仏領ギアナ)の三つが主たる対象地域だが、これにハイチを含めるだけで、もはやぼくには収拾がつかない。英語圏、スペイン語圏へと拡大してゆくカリブ海地域は、それこそ人生をかけても勉強しきれないほどの作家の宝庫だとも思う。

アジア文化圏域では、フランス語表現のカリブ海文学の紹介はおそらく日本が一番進んでいるのではないだろうか。エメ・セゼールも、エドゥアール・グリッサンも、マリーズ・コンデも、パトリック・シャモワゾーも、ラファエル・コンフィアンも訳されている。すごいことだ。今のぼくの関心から見てなかでもすごいと思われるのは、西谷先生の『クレオールとは何か』の翻訳である。その理由を少しだけ書いてみよう。

著者はパトリック・シャモワゾーとラファエル・コンフィアンという、1950年代生まれの二人のマルティニックの作家だ。80年代後半に言語学者ジャン・ベルナベと『クレオール礼賛』という文学的宣言文を発表して話題を呼んだ二人である(『クレオール礼賛』は平凡社より翻訳が出たが、現在絶版。豊富な訳注は瞠目すべきものだ)。この宣言文は、「クレオール」(厳密にはクレオール性)をキーワードに、新しいマルティニック文学のあり方を提起したものだ。だがこの小さな宣言文は、「クレオール」とともに地域文学の枠組を超えて受容された。

では、クレオールとは何か? それを説明するのがこの本だと言いたいところだが、この本の原タイトルを直訳すれば、『クレオール文芸、アンティーユ諸島および大陸部の文学の描線 1635年-1975年』とでもなる。クレオールとは一般に、文化の多様性や混交性のメッセージとして解されると思うが、この本はこの概念のもとでフランス語表現のカリブ海文学の表現の歴史を跡付けている。だからこれはクレオールという概念について説明した本ではない。読者は、著者たちが描く「クレオール文芸」の文学的豊かさをとおして、「クレオール」という概念についてイメージを抱く、ということである。

平凡社から翻訳が出版されたのは1995年。その後、この本は2004年に平凡社ライブラリーの一冊として復刊した。いま手元にあるのは平凡社ライブラリー版だが、この本を何度読んだか分からない。最初の頃は、知らないことが多すぎて読み通すのがしんどかったが、この地域の文学のことを少しずつ学ぶことで、この本の魅力を自分なりに味わえるようになってきた。

『クレオールとは何か』が面白いのは、記述がとても具体的であるからだろう。だからこの地域の作家がたくさん登場しても、物語としてひとまず読み通すことができる。そして、いよいよこうした具体的な記述が面白くなるのは、実際に著者たちが言及する作家たちのことやこの地域のことを経験するときだ。すると、いまだ日本語には訳されていない数多くの作家たちにも、自然と興味が沸いてくる。

この本との出合いによって知った作家は数知れないが、たとえば、アルフレッド・パレプーについての記述は、類書ではなかなか知ることのできない、貴重なものである。

この不安定な状況のなかに、知られざる偉人アルフレッド・パレプーの筆になる傑出した作品が出現する。タイトルは『アティパ』という。「ギアナの小説」という副題がついたこの作品は、はなから終いまでクレオール語で書かれている。この本はギアナ・クレオール語で書かれたものとしては、その名に値する初めての本で、伝統と化していた対訳もついていない。そのときまでにこの地方特有の語で書かれたテクストといえば、新聞にちらほら掲載されるものか、貧弱な小冊子に集められた断片的なものだけだった。驚くのはそれだけでなく、この作品がのっけから小説のジャンルにしっかりと収めるテクストの構成をもっていることだ。

この後も『アティパ』とその作者パレプーについての記述が続くが、これを読んで、当然のごとく『アティパ』を手にしたくなった。マルティニックでコンフィアンからこの小説の話を聞いたこともあったかもしれない。だが、なかなか見つからない。だから偶然、パリでこの本を古本屋で見つけたときは喜びも一入だった。まだ『アティパ』を読む楽しみはとっておいているが、(ぼくの入手した版にはフランス語訳がついているのでひとまず翻訳で読める)、こうした作家たちとの出会いを日本語において可能にしてくれるという意味で、『クレオールとは何か』はひときわ貴重な本なのである。

コメント

タクランケ さんのコメント…
もし、クレオールという概念についての書物があれば、またご紹介くださるとうれしい。大変興味があります。
omeros さんの投稿…
ありがとうございます。クレオールの概念についての書物、今後も紹介したいと思います。