中東文学研究からポスドク問題まで

先日、連れ合いの用事でバルセロナに行ってきた。WOCMESという四年に一度開かれる中東研究の世界大会が、七月下旬にバルセロナで行われるとのことで、連れ合いは日本における中東文学受容のパネルセッションに報告者として参加することになっていた。ぼくはその付き添いである。バルセロナの中心地カタルーニャ広場から30分程電車で北上したところが会場の大学だった。この大学のキャンパスのはずれの宿泊施設に数日滞在した。中東研究には疎いぼくは、発表を聞くよりも観光をする方が目的である。個人発表やワークショップは無数にあったが、連れ合いの関係するパネル以外には出席しなかった。だが、このパネルを準備した先生や若手研究者たちとの会話をとおして、これまで遠く感じてきた中東文学が少し身近になり、興味をもてたのはよかった。みんなとの会話で初めて知ったが、アラビア語文学の若手の研究者(の卵)は、なんと今のところ一人しかいない。びっくりしてしまった。一番大きな理由は、やはり就職がないから、ということになってしまいそうだが、いわゆる「世界文学」を考えるとき、広大なアラビア語圏の文学が、ぼくたちの認識からすっぽり抜け落ちているというのも大きいだろう。このことは、アフリカ大陸の文学にも十分当てはまることだ。「世界文学」とは何だろうか? 

研究者の数の少なさは、中東研究全体に当てはまりそうだが、とりわけ文学研究において少ないようだ。ぼくはカリブ海地域の文学研究をしているといっても、大きくはフランス語業界に属している。フランス語を主言語とする研究のなかではたしかにマイナーではあるが、大学では第二外国語でフランス語を教えるという道がある。現在、フランス語系の研究者の数に見合うだけの常勤ポストもなければ、非常勤講師として語学を教えることも大変なご時勢ではある。それでも、そもそも第二外国語の科目とならないアラビア語やペルシア語で研究する人々と比べた場合には、フランス語業界に属する人々は、制度としての大学に「依存」できる可能性はいまもなお高いだろう。

話はそのまま脱線するが、「ポスドク問題」とは、研究活動と経済活動との両立をめぐる問題である。主要な解決策とは何か。ぼくには分からないが、大多数の若手研究者が目指しているのは、大学に教員として就職することだろう。しかし、その狭き門を唯一の目標としているかぎり、競争に敗れる若手研究者の精神的負荷は計り知れない。この解決策は、結局、厳しい競争原理を肯定することによって成り立っている。数の論理からして、結局、この競争に負ける人の方が多いのだから、敗北者の視点から徹底的に考えなければ、「ポスドク問題」は解決しないように思える。

もう一つ、アラビア語文学の現状から思うのは、研究の不均衡である。フランスでは、人気のある作家や哲学者・思想家の場合、その作家や思想家の若手研究者だけで10名ぐらいいたりする。はっきり言って、おかしい。フランス現代思想の研究は、他の何にもましてそれほど重要なのだろうか。フランスの19世紀の大作家や、20世紀の著名な作家や思潮を研究する人たちに対しても、同じことを思う。人の関心のもち方は多様であるし、どのような研究でも、それを立派に大成すればよいわけだから、基本的には何を研究してもよいわけだが、こうした研究の偏向の背景には、明らかに日本語における翻訳受容の偏向があるだろう。中東やアフリカは、大方の日本語人にとってはいまだに想像域の外にあるのではないか。そうだとすれば、中東文学やアフリカ文学の受容の器を長期的にゆっくりと作っていくことが大事だ。そうすれば、半世紀後には状況がだいぶ変わるのではないだろうか。

コメント

匿名 さんのコメント…
相変わらず、君には聖性があるね。
ある程度の聖性がなければ、学者先生はやっていられないからね。

僕は、今も下世話な事件を解決し、今そこにある何かを一つ一つ潰しているところさ。

そのうち、再会できると良いね。
espera さんの投稿…
こんにちは。
「はっきりいっておかしい」のは本当にそうですね。
すっぽり抜け落ちている部分を可視化させるために、まあ、目の前の仕事をひとつひとつ地道にやるしかないわねえ。

お連れ合いによろしく! 
omeros さんの投稿…
コメント、ありがとうございます。たしかにそのうち再会できると良いですね。楽しみにしています。

esperaさん、ご無沙汰しています。お仕事、陰ながら応援しています。連れ合いにもよろしく伝えておきます。
castorp さんの投稿…
確かに研究の偏りにはすさまじいものがありますね。ぼくの知ってる限り、カルヴァンを専門に研究している若手の研究者は日本に一人もいないと思います。
omeros さんの投稿…
本当に。カルヴァン研究を志す若手の研究者が日本に一人でもいてほしいです。近現代以前の作家や思想家を研究する人は本当に少ないものですものね。地理的にだけでなく、時間的にも、研究の偏りはありますね。