解釈についての雑感

研究に関して最近思うことがある。思うことはいつも反省ばかりだ。

ぼくは、カリブ海地域出身のフランス語系作家のことに関心があるが、これまでは主に作家研究であり、テキスト読解に重心を置いてきた。ある時期まではそれでよいと思ってきたが、今はテキスト偏重の読み方を警戒している。一時期関心を持っていたヨーロッパの現代文学理論のことは今ではほとんど忘れてしまったが、エーコの「読みと深読み」のことはかろうじて憶えている。作者の意図よりも、読者の受容を重視してきたエーコが、自分が小説を書くようになってはじめて、解釈の過剰性に驚いたというエピソードが披瀝されていた。つまり「薔薇の名前」の作者エーコが、この小説をめぐる論考に触れ、こんな解釈はありえないと当人が思うような過剰的解釈に出くわしたエピソードである。

そこでエーコは思う。「作者の意図」は以前否定した。しかし、読者の側の解釈にも一定の限界があるのではないか。そこで「テキストの意図」という考え方を提案する。テキストに書かれていないことを深読みするには一定の限度がある、と。

このエーコの考えを保守的だとする意見も当然あるだろう。しかし、文学理論の「発展」が作品の読解の多様な可能性を開くとともに、解釈の妥当性を置き去りにするような風潮も生み出しているのではないか。エーコの意見の修正を、ぼくはそういう警鐘として受け取った。

では解釈の妥当性はどのように保証されるのか。ぼくはこれをある時期テキストそのものに求めていたが、今ではコンテキストにも求めるようになっている。それは作品が発表された文脈でもあれば、作品のなかで描かれる時代の文脈でもある。そのことを知るためには、研究・読解と対象とするテキストのみを扱うのでは当然足りない。そのテキストを成り立たせている無数のコンテキスト(その多くはテキストとして存在するのだが)も知る必要がある。

したがって、多くのコンテキストのなかに自分が対象とするテキストを位置づけた上で、そのコンテキストすらも更新してしまうような読解こそが、おそらく画期的な研究といわれるにふさわしいと思う。

しかし、そうした研究というのは、並外れた蓄積のみならず人と異なる発想が必要となるだろう。ようするに、簡単ではない。

ぼくにかんしては、現段階では、とにかくこつこつと蓄積するしかない。もう一度学生をやり直すつもりでフランス語圏カリブ海文学に取り組んでいる。

コメント

espera さんのコメント…
こんにちは。作品とコンテキストの関連について面白く読みました。
「読み」はもちろんですが、「コンテキストは翻訳書を出すときの生命。ただ訳して出せばいいってことではないのよ」と翻訳をはじめたとき、大先輩にいわれたことを思い出します。
 日本語テキストの海のなかに、一冊の書物としてどう投げ込むか、それをいつも考えていなければいけない、と。
 いやあ、結構これって大変なのよ。おかげでひどく頑固な翻訳者になってしまいました/笑。
 元気でおすごしください。
omeros さんのコメント…
含蓄のあるお言葉です。翻訳のときには肝に銘じたいと思います。このことを心がけ、なおかつそれができるかが、プロの翻訳と、そうでない人の翻訳を分かつところなのだと思いました(もちろんぼくには到底ムリですが)。アディーチェ、もうすぐ来るのですね!! 
castorp さんの投稿…
確かに、作品のコンテクスト、例えば歴史家が再構成しようとしている社会的コンテクストそのものを、作品の読解によって書き換えることができれば素晴らしいですね。そのようにして初めて、文学研究は歴史研究に貢献できることになる (なぜ貢献しなきゃなんないんだ、という話は別にして)。ただ、社会的コンテクストをどれだけ考慮しても、間違った解釈は間違った解釈なので、その意味では、社会的コンテクストを考慮しても解釈妥当性はまったく保証されないですよね。それに、社会的コンテクストは、あくまでもテクストの内部に書き込まれていなければ、それと認識することができない。つまりそのように考えないと、社会現象とテクストの一節を恣意的に結びつけてしまうからです。となると、正しい態度は、テクストの内部に刻印された外部を発見するために、歴史学その他を勉強するのがいいとうことになりますか。やはり解釈妥当性は、テクストの内部からでてきてもらわないと困る。その場合、テクストの内部というのは、外部と対話してみつかる内部、ということで、内部の質は異なりますけど。問題は、テクストの内部に刻印された外部はすべて歴史研究が握っていることだと思います。ここでやはり、文学研究者は歴史家に従属してしまうことになる。
omeros さんのコメント…
castorpさん、いつも刺激的なコメントありがとうございます。この難しい宿題についていろいろ考えましたが、いまだ答えを出せそうにはありません。次にお会いするさいに、考えてみたことをお伝えいたしますね。歴史と文学の切り結ぶ関係について、また話し合うのを楽しみにしています!