シェク・アンタ・ジョプ

シェク・アンタ・ジョプの歴史書『ニグロ諸民族と文化』。1954年、プレザンス・アフリケーヌ刊。

題名は知っていても、なかなか読めないでいる本というのは、たくさんある。この本もそうした一冊だが、最近、読んだ別の本を通して、とても興味をもった。

シェク・アンタ・ジョプといえば、『ニグロ諸民族と文化』で有名な、セネガル出身のネグリチュード学者というイメージが先立つ。古代エジプトは黒人文化の一部であるという大胆な学説を提出したのは、本書においてである。この学説は当然ながら波紋を呼び、黒人エジプト説は今日でもエジプト学のなかでは異端視されているようだが、古代史のまったく異なる捉え方として参照される研究であるにも違いないようで、古代ギリシア文明を「白人文明」のルーツだとする世界史の通念をまっこうから否定する論争の書マーティン・バナールの『ブラック・アテナ』にも影響を与えているようだ。

セネガルといえば、ネグリチュード詩人として高名なレオポルド・セダール・サンゴールのことが思い起こされる。1960年の独立後、サンゴールは20年間大統領職を務めた。サンゴールのネグリチュード論にはシェク・アンタ・ジョプの学説も援用されているし、シェイク・アンタ・ジョプの死後、大学や研究所には彼の名前が冠されたりしているところをみると、一見、彼の研究が大々的に認められていたかのような錯覚を抱く。

実際は、シェイク・アンタ・ジョプはセネガルで冷遇されてきた。そう語るのは彼のことをよく知るアフリカ文学者でダカールの大学で教鞭をとってきたリリアン・ケステロートだ。サンゴールとの政治的対立のために危険視されたシェク・アンタは存命中はIFANという研究所の一室を割り当てられていたものの、授業を講じることは基本的に禁じられており(サンゴールの引退後に一コマだけ持てたようだが)、セネガル国内では、その研究が影響力をもつことはなかったようである。

ケステロートの回想によれば、ジョプはもともと古代ギリシア文明の学徒だった。古代ギリシアの文献を読んでいるうちに古代エジプトからの借用物を見出したこの学者は、その後、古代エジプトの研究へ向かう。そこで、偶然にもアフリカ的要素を見出していくのだ。最初にイデオロギーありきではなく、純粋に学的な関心がこうした発見へと導いたようだ。ヒエログリフを自在に読み解き、アフリカ諸語にも通じていた彼の論証の一つの醍醐味は、ヒエログリフとアフリカ諸語の比較検討にあるとのことだが、この両言語に通じている学者がそもそもいないことから、言語学者のなかには論証の妥当性を懐疑的に捉える向きが強い。しかし、ジョプのようにヒエログリフもアフリカ諸語も研究したことのある稀な学者は、その論証の的確さを認めていた、という話まである。ケステロートの回想を読んでいると、『ニグロ諸民族と文化』は、そう思われることの多いような、「珍説」なのでは決してなく、緻密な論証によって裏付けられた科学的論文であるのではないか、と思えてくる。ただ、その画期的発見が、あまりに政治性を帯びるために、心理的な共感や嫌悪感を呼び起こしやすいのではないか。

ケステロートがジョプに最初に出会ったのは、1959年、ローマで開催される第二回黒人芸術家作家会議へ出席するための、パリ発ローマ行きの車中であった。ジョプの隣には、フランツ・ファノンが座り、その隣にはエメ・セゼールがいた。当時、黒人知識人は、それぞれの文化的差異よりも、むしろ文化的紐帯を共有していた。そうしたなかで、『ニグロ諸民族と文化』を出版したジョプは花形のような存在で、誰もがこの当時、この本を読み、彼と話しがっていたとケステロートは伝えている。

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