フレンチ・セオリー

フランソワ・キュセ『フレンチ・セオリー アメリカにおけるフランス現代思想』(桑田光平+鈴木哲平+畠山達+本田貴久訳、NTT出版、2010年)。

フランス現代思想のアメリカ合衆国における受容と展開を辿った書で、面白く読んだ。ある時期から、とくにマルティニック滞在期から、フランス現代思想はもう読まないだろうと思っていたのだけれど、そういう風に読書を限定するのは良くないと近い人にたしなめられたこと、また周りには哲学や思想を専攻している友人が多いことから、距離を保ちつつも、もう一度、ドゥルーズやフーコーを読み直したいと思っていたところだった。この本では、ドゥルーズ、フーコー、デリダ、ラカンといった同時代の思想家がどのようにアメリカに導入され、「フランス現代思想」というパッケージが確立したのかをジャーナリスティックな視点を交えながら辿っているので、フランス現代思想に関心を持つ人であれば興味深く読める(ちなみに訳文はとても読みやすい。読みやすさと正確さを追及した高水準の訳業だ)。一時期、スピヴァクやバーバの議論にがんばってついていこうと努力した時期があるし、今でもポストコロニアルの問題圏には関心を寄せているが、どうしてポスコロの理論はこうも難解であるのか、という点は近年疑問に思っていたところだった。そうした疑問に対してもヒントを与えくれた。「フレンチ・セオリー」の発展にあたっては、ニュー・クリティシズムの確立が背景にあったこと、それゆえ「フレンチ・セオリー」が哲学の分野ではなく文学(文学理論)の分野で構築されたという記述は大いに説得力があり、この現代思想の受容過程の記述をとおしてアメリカの大学の特有の知的風土を描いている点で、アメリカの人文学を対象とした文化史としても興味深く読めた。ただ、訳者があとがきで前もって書いているように、最後に「フレンチ・セオリー」の世界的波及について記述した箇所は、やはり気になる人が多いだろう。日本における「フレンチ・セオリー」の受容についての説明はずいぶん粗く、一読者として、そうした粗い印象が読後感に残ってしまったものの、全体としては、こうした類書がないだけに興味深く読めた。

コメント