カリブ海偽典(1)

以前の記事で発売前に取り上げたパトリック・シャモワゾー『カリブ海偽典 最期の身ぶりによる聖書的物語』(塚本昌則訳、紀伊国屋書店、2010年)を先日読み終えた。本編で930頁ある。数日間集中して読んだ。

パトリック・シャモワゾーは、クレオール文学の旗手として日本で紹介されてきた。1995年にシャモワゾーとコンフィアンの『クレオールとは何か』が翻訳された後、小説『テキサコ』(1997)、クレオール文学のマニフェスト『クレオール礼賛』(1997)、自伝的エッセイ『幼い頃の昔』(1998)、民話集『クレオールの民話』(1999)と立て続けに日本語で出版された。シャモワゾーの代表作として、上下二巻で平凡社から刊行された『テキサコ』は、クレオール文学の豊かな世界を十二分に示す傑作だった。大学生の頃、ぼくはこの小説に出会い、夢中になって読んだ。それから、グリッサンの小説に出会ってフランス語のカリブ海文学を勉強しようと思うようになったわけだが、大学院生時代に出会ったカリブ海文学専攻の友人たちは、おそらくこうしたクレオール文学の活気に満ちた空気を吸っており、日本語とフランス語をとおして、カリブ海世界に出会ったのだ。そのなかで、『テキサコ』は、とにかく重要な小説だった。『テキサコ』を読み、『クレオール礼賛』を読み、『現代思想』のクレオール特集(1997年1月)を読んだりして、「クレオール」をキーワードに日本ではまだあまり知られていなかった作家たちに関心を持ち始めたのだと思う。

のっけから回顧的な調子になってしまったが、シャモワゾーの新作の刊行はいろいろな意味でぼくには感慨深いのである。2000年代以降、シャモワゾーの名前は日本ではすっかり色あせてしまった。いまでは『クレオール礼賛』も、『テキサコ』も、絶版だ。平凡社ライブラリーに入った『クレオールとは何か』はいまでも入手できるけれど、もはや書店でクレオール文学を見かけることは少ないだろう。 シャモワゾーの本領はなによりも小説にあるわけだが、『テキサコ』の出版以降、小説の翻訳が続くことはなかった。

だから2010年に 『カリブ海偽典 最期の身ぶりによる聖書的物語』が出版されたことはとても嬉しいことだ。しかも、圧倒的分量の小説である。シャモワゾー研究者のHくんからかつてこれがシャモワゾー小説の一つの「頂点」であることを聞いていたし、この小説が翻訳される予定も聞いていたから、ぼくにはまさに待望の一冊だった。

この小説のメインタイトル『カリブ海偽典』は訳者の塚本昌則さんがつけたものである。もともとの本の題名は副題にある「最期の身ぶりによる聖書的物語」 の方だ。このタイトルに近似した表現が本書の最後に出てくるが、たしかにこの含意は日本語ではわかりにくい(「訳者あとがき」に詳しい説明がある)。そこで思い切って訳者がつけたのが『カリブ海偽典』なのだ。(続く)

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