カリブ海偽典(3)

(承前) シャモワゾーの小説『カリブ海偽典』(塚本昌則訳、紀伊国屋書店、2010年)の物語の主人公はバルタザール・ボデュール=ジュール氏。長い名前だが、このバルタザールという名前にはピンとくる人も多いだろう。新約聖書に出てくる東方の三賢人の一人であり、一説には黒人であるという、あの神話的な人物の名前である。

バルタザールは1993年の故郷の島(マルティニック)で死を迎えようとしている。シャモワゾーはこの瀕死のバルタザールから生涯の話を聞き書きする、言葉の記録人として物語に登場する。物語の現在に設定されている1993年での主な登場人物はこの二人で、あとはバルタザールの語る回想を再構成したシャモワゾーの物語のうちに、バルタザールの生涯の遍歴のうちで出会った人物が数多く出てくる。

バルタザールは反植民地主義のために戦ってきた独立主義者だ。第二次世界大戦後すぐに世界各地の独立戦争に参加した。インドシナ戦争、コンゴ独立のための戦い、アルジェリア戦争、ボリビア戦争などで、ホーチミン、ルムンバ、ファノン、ゲバラといった独立の英雄たちの傍らで戦ってきた人物である。こうした戦いの遍歴を経て故郷マルティニックに戻ってきたバルタザールは、海外県となってフランス本土に追従する、反植民地主義の精神とは程遠いマルティニックの現状のなかで孤立しながら生活する。もちろん、60年代以降にはマルティニックにも若者たちを中心に反植民地主義の機運が高まるわけだが、そのあたりの事情は冷ややかに描かれており、むしろ、マルティニックで一時期問題化した麻薬による若者たちの荒廃が大きく取り上げられている。何よりも、生活の自立を食物の自給自足から始めるという、「高度必需品宣言」(『思想』2010年9月号)や、ラクゼミの思想と実践に見られる、エコロジカルな生産の視点が強調されている。

この小説の冒頭と最後の100頁は、上のような現代マルティニック社会論や海外県化以降の現代史としても読みごたえがある。随所に挿入される語り手「私」(=シャモワゾー)の内省的記録は、書くことをめぐる評論としても大変示唆に富んでいる。だが、何といっても、この小説を貫くモチーフは「愛」である。誰もが口にする言葉(なぜなら言葉は摩耗するからだ)を使うのは適切ではないかもしれない。しかし、この小説を読み進めていくと、物語のエピソードの大半がバルタザールの恋愛や男女関係の話であることに気づかないわけにはいかない。こうしたテーマを(かえって陳腐になりがちな)あえて物語の中核にするあたりに、パトリック・シャモワゾーという作家のスケールの大きさを感じる。

個々のエピソードをめぐっては書きたいことが山ほどあるが、それは次の機会にしよう(デボラ=ニコル、サラ、アナイス=アリシアという、サン=ジョセフ村での三人の人物の物語をぼくは大変好んでいる。)

頁が最後にさしかかってきたとき、この物語がどうして900頁以上にもならざるをえないのか、その理由を感じとり、この小説が傑作(お世辞としてではなく文字通りの意味で)であると確信した。文学の可能性を信じる人にぜひ手にとってもらいたい。

(写真は2002年に刊行された単行本の表紙。)

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