カリブ海偽典(2)



(承前)『カリブ海偽典』というメインタイトルは、当然ながら「正典」の存在を前提にする。文字通りそれを大文字の書物、聖書だと考えよう。聖書は創世神話を含んだ物語としては世界的にもっとも知られている。キリスト教の経典としての聖書が、歴史的にみれば、ヨーロッパの精神文化の基礎を形成してきたものであり、あらゆる時空を超越した普遍の物語ではないということは、今日誰もが知っていることである。

聖書は、「クレオール」と呼ばれる混成的文化を形成してきたカリブ海の地域では、強い影響力をもってきた。宣教師は植民地で熱心に「野蛮」な黒人奴隷たちを「教化」し、奴隷が働いた大農園や、市場街には小さなカトリック教会が建てられた。そうした歴史をもつマルティニックやグアドループは案外信心深い土地柄なのである。そのことと関係するのだろう、この島々には数々の伝説・迷信もまた信じられてきた。シャモワゾーが大事にするのは人々が信じてきた伝説・迷信の世界であり、近代合理主義の精神からすれば荒唐無稽な話に、人々によって生きられた現実の根拠を置いている。現に『カリブ海偽典』には、女悪魔や、男と女の二重の性をもつ人物や、悪魔と交渉する女の子がごく当たり前のように出てくるが、それは作家の妄想の産物なのではなく、民衆知を根拠とした作家の想像力の跳躍によって生み出された人物たちなのである。こうした豊饒な想像力は、シャモワゾーの「師」であるグリッサンには見られない。物語る力にかんしてはシャモワゾーは類いまれな才能をもっている。

この小説が「偽典」であるのは、シャモワゾーがグリッサンの試みを引き継ぎつつ(大文字の歴史に抗する小文字の複数の歴史、すなわち「反-歴史」、しかし「非-歴史」という透徹なる認識もって書いたグリッサン)、「正典」からは排除されるが、人々に信じられてきた物語を作り出すことで、もう一度、カリブ海の人々に自分たちの有してきた知恵を回復させようとする、野心的な試みであるからだ。そして、こうしたことはカリブ海地域のみならず世界中のどこでも起こっただろうという意味で、シャモワゾーの物語は世界性を有している。(続く)

(写真はフランスではポピュラーな文庫フォリオ(folio)版の表紙、2003年刊。文庫版にして約850頁。単行本が刊行された一年後にこれだけの大部の小説が文庫に入ったということである。)

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