エドゥアール・グリッサン

エドゥアール・グリッサン訃報に接してから一週間が経過した。この間、さまざまなことがあった。まず4日にはフランス・キュルチュールでのグリッサン追悼特別番組を聴いた。これは丸一日続いた。翌日、NY市立大でグリッサンのもとで学び今はフランスで博士論文を準備しているMくんにミサの知らせを聞き、一緒に(Mくんはボルドーから)サン=ジェルマン・デプレ教会に行った。そこで、大きな棺に入った故人に接した。これは故人の生前を知る者にはおそらくショックなことである。ぼくにとってたとえばセゼールの死は94歳の大往生だったこともあるけれど本人を知らないのでその死はあくまで観念的だった。しかし、グリッサンは何度か会ったことがあった。一番最後は去年の夏頃にカンパニー書店のサイン会に顔を出したときだった。会うたびに、いつ家にくるのだ、と言ってくれた(気がする)。パリの家にはついに訪れる機会がなかった(マルティニックでは訪れた)。やや高い声、大きな身体、髭を生やした顔など、ぼくはグリッサンのイメージをいつでも思い出すことができるけれど、もはや本人には会うことはできないのだ。とはいえ、4日のフランス・キュルチュールでは彼の声が無限に再現されていたし、動画でもいつでも見られるわけだから、グリッサン訃報も棺を目にするまではやはり観念的だった。棺のなかの故人に再会したその日、かなりまいってしまった。このミサでは、グリッサンの子息オリヴィエが読んだ二つのテキストが印象的だった。一つは散文詩、もう一つは祈りの詩である。散文詩の方は、どこかで聞いたことがあるような文章であるという印象が、多くの参列者にあったようだ。だが、じっさいはどのテキストかはわからなかった(あとで確認したけれど、どうやら『ラマンタンの入江』でも『関係の哲学』でもないようだった)。旅する詩に思えた。「Je vous guide maintenant」という言葉がこの詩の後半に現れた。その箇所を読みだしたとたん、オリヴィエは悲しみを押さえることができなかった。このテキストは音楽のようにぼくの耳に流れていたので、内容にはついていけなかったが、この言葉をオリヴィエが発したとき、たしかにぼくの耳にはグリッサンの声が聞こえた。「Je vous guide maintenant」、「きみたちを今から案内する」。そう、この旅の詩においてグリッサンはぼくたちを世界の(詩人の声をとおしてみることができる)風景に案内してくれていたのだ。

6日はグリッサンの追悼セレモニーに出席した。ラテンアメリカ会館で行われた。グリッサンが主催していた「全世界学院」のセミナーがこの会館でよく行われていたようで、この会館はグリッサンにはなじみの場所だった。会場は比較的大きかったが、グリッサンを偲ぶ人で溢れ、ぼくたちも開場前についていたがすでに座れないほどだった。300名以上はいただろう。著名人が追悼の辞を述べたり、詩の朗読、そしてカリブ海らしい音楽の演奏などが行われるなか、誰かがグリッサンの言葉として引用した、
「Rien n'est vrai, tout est vivant」(本当のことなど何もない、すべては生きている)という言葉が印象に残った。9日にはマルティニック島南部の町ディアマンで葬儀と通夜が行われたようだ。これには参加できなかったが、追悼セレモニーはパトリック・シャモワゾーの追悼文からはじまったようだった。この間、グリッサンへの追悼文が発表された。おそらく一番早かったのはルネ・ド・セカッティのルモンドでの記事、グリッサンと仲のよかったアリョーシャ・ラソウスキによるフィガロでの記事か。ラファエル・コンフィアン、エルネスト・ペパンといったクレオール作家たちも相次いで追悼文を寄せた。そのなかでシャモワゾーはグリッサンの一番親しい関係であったからこそ文章の発表を9日まで待った。感動的な追悼文だった。

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