旦敬介『ライティング・マシーン——ウィリアム・S・バロウズ』

何年かかるか分からないが、いつか、こんな文学研究書が書きたい。ある本を読むと読まないのでは、ここまで扱われている対象にたいする関心は変わるものなのか。ウィリアム・バロウズという作家にたいして、ビート文学の書き手といったおぼつかない紋切型のイメージ、バロウズ=『裸のランチ』といった程度のイメージしかもっていなかった。だが、本書を読んだあとでは、ウィリアム・バロウズのことをもはや無視することはできない。優れた文学書というのは、やはりどれだけその対象(作家)に寄り添ってきたのかがものをいうと思う。

「文学研究においては『作者の死』ということがさかんに言われてきた。作品を作者と切り離して、自立したテクストとして読むことが作品を正当に評価する道筋だとされてきた。しかし、僕は少し違うことを考えて口にしてきた。作品が面白いのは作者が面白いからだ、と。作品がどんなに素晴らしくたって作者がつまらない人間だったら、その作品と作者に寄り添って人生を賭けられないじゃないか。」

この一文をみずからの言葉として言い切れる、そういう研究、そういう批評こそ、本当に面白い。吉田美和子による詩人・尾形亀之助の伝記『単独者のあくび』が面白かったのも、やっぱり同じ理由からだと思う。

バロウズはカットアップの手法を得意としたそうだが、本書の成立にもこの手法が活かされているようだ。そのためか、いや、そもそも著者の語り口のためか、断続的に読んだわりには興味が途切れることがなかった。とくに麻薬「ヤヘ」の果実をめぐる第2部6章がきわめて刺激的だった。




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