グリッサン、83歳の誕生日

グリッサン83歳の誕生日を祝う、パリのラテンアメリカ会館での催しに参加してきた。ラテンアメリカ会館にはこれで二回目。最初は、グリッサンが亡くなったときの催しで、松井さんと一緒に参加した(彼とグリッサンの詩「黒い塩」の抜粋を訳した)。ぼくはエドゥアール・グリッサンをいつも遠くから見ていたので、それほど知りあいはいない。しかも、晩年のほんの一部しか知らない。けれども、グリッサンの研究をしているラファエルや、グリッサンのドキュメンタリーを制作しているギョームなど、年齢の近い友達のおかげで、ひとり片隅でぽつんと座っていることは避けられた。久しぶりに再会したラファエルはあまり元気がないように見えたけれど、グリッサンの詩における土地をめぐる表象について研究しているということで、博論の完成がたのしみだ。今回の出席者でぼくが見分けた人は、エドガール・モラン、エドウィ・プレネル、フランソワ・ヌーデルマン、マンティア・ディアワラ、マリオ・カノンジュ、そしてアラン・ジャン=マリだ。アラン・ジャン=マリは、グアドループのピアニスト。60年代から活躍しており、カリブ海の音楽界では誰もが認める巨匠である。ビギン・レフレクションのシリーズが有名だ。ティ・ポンシュやワインの助けを借りて話しかけてみたところ、とても感じのよい人だった。グリッサンとの仲は60年代にさかのぼる。グリッサンがマルティニック研究学院という私営の塾をやっていた頃、ジャズの愛好家のグリッサンはよくジャズの宴を開催したそうだ。その頃にアラン・ジャン=マリも演奏していたのだという。ブラック・パンサーの人と共演したこともあったそうだ。また別のときに、リントン・クエンシ・ジョンソンが来たときにグリッサンがレビューを書いたという話も聞いたことがある。そういう話を伺うと、ぼくはグリッサンのことをまだぜんぜん知らない、とつくづく思う。もちろん、「テクスト」はあるのだけれど。

音楽の話でいえば、グリッサンはジャズよりもクラシックを好むという話をどこかで聞いたことがあって、その意外性に驚いたことがあったが、ジェラールが言うには、ジャズもクラシックも等しく聴いた。とくにベートーヴェンの音楽を、「ブラック・ミュージック」のように(記憶があいまいだ。ベートーヴェンを形容していたか、その音楽を形容していたか。けれども、そういったことを言っていた)捉えていたようだ。アラン=ジャン・マリもグリッサンがジャズを愛好していたと言っていた。

今晩は、シルヴィー・グリッサンに、『現代詩手帖』のグリッサン特集号を渡すのが目的だった。いろいろと躊躇があって、なかなか渡せずにいた。ちょっと時間が空いてしまったが、無事に渡すことができてよかった。

今回の夕べには、ひとつ、参加者への贈り物が用意されていた。それは、グリッサンの最後の詩である。手書き原稿のカラー・コピーだ。もちろん、未刊行のもの。筆跡からして、おそらくこの世界に別れを告げる少し前に書かれたものだろう。グリッサンは多くの人に愛された人だ。ぼくもそのひとり。断片的な、小さな記憶を大事にしながら、グリッサンについて考え、書いてゆきたい。

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