全−世界学院セミナー初日

10月19日は、ラテンアメリカ会館で「全−世界学院」(故エドゥアール・グリッサンが設立した、学びと文化交流の集い)のセミナーに参加した。今回でセミナーは5年目に入るという。このセミナーはフランスの大学の授業のようなもので、実際、コーディネーターを務めるのは、パリ第8大学のフランソワ・ヌーデルマン氏だ。ヌーデルマン氏も「全−世界学院」ほかいろいろと見かける機会は多いのだが、個人的な面識はない。今回は、そのヌーデルマン氏がグリッサンについて講義を行うわけだから、どんな話をするのか、興味をもっていた。この2011年から2012年にかけてのセミナーの題目は「エドゥアール・グリッサンの伝達と変容」となっており、この意味深な題目をめぐってヌーデルマン氏は哲学的な話を展開した。その内容をここで再現することはできないが、ひとことでいうならば、後期グリッサンの思想、すなわちあらゆる概念化や定義を拒むグリッサンの詩学思想をどのように受け継ぎ、再発見し、再文脈化するのか、という問いをめぐるものだった。グリッサンの詩学思想のポイントが、非常に明快に(じっさいは難解な話をめぐるものだったのが)提示されたとおもう。ただ、ラテンアメリカ会館などで、しかも哲学的議論においてグリッサンの話を聞くと、グリッサンのテクストが同時に語っているマルティニックをはじめとするカリブ海文化が遠のいていってしまうような気がするのだが、どうなのだろうか。島の友人たちとクレオール語で冗談を言いあうグリッサンのイメージは少なくともこういう場面には出てこない。また、後期グリッサン(これはぼくの勝手な区分)をあたかもグリッサンの全体像のように語ってしまってよいのだろうか、という懸念も若干ある。多くのひとは60歳以降のグリッサンしか直接知らないのであって、そういう意味ではグリッサンの人生の3分の2、そして『関係の詩学』以前に彼が書いてきたものを同時代的に読んできた人は少ない。すると、グリッサンの「全−世界」をめぐる思想をベースに前期や中期のテキストを読んでしまうことになるだろう。ただし、そうした読解を勧めているのは、じつは晩年の著者本人なのだから、この誘惑にはなかなか打ち勝ちがたい。

ところで写真は、サン=ジェルマン・デ・プレ教会近くのディドロ像。今日は赤い素敵な帽子を被っていた。以前は、紅白の素敵な鉢巻きをしていたのだが。それにしてもこのディドロ像、通りかかるたびにある仏文の先生を思い出してしまう。

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