グリッサン1周忌

2月3日、カリブ海マルティニック島の詩人エドゥアール・グリッサンが1周忌を迎える。グアドループでは、プチ・ブールという町でささやかな追悼の催しがおこなわれるという。マルティニックでも、ディアマンのアンス・カファールで追悼の集まりが開かれるのだろうか。パリでもなにかあるのだろう。去年『図書新聞』で書いた追悼文を引用したい(一部誤りを修正。漢数字をアラビア数字に変換)。


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カリブ海のフランス領マルティニック島は20世紀に少なくとも3人の世界的知識人を輩出した。黒人意識の覚醒をフランス語で表現した長編詩『帰郷ノート』の詩人で知られるエメ・セゼール、アルジェリア独立のために闘い、世界の民族主義運動や反体制運動に影響を与えた『地に呪われたる者』の著者フランツ・ファノン、そして、文化の混淆にカリブ海文化の独自性を見てそこから混淆を常態とした世界のヴィジョンを構想したエドゥアール・グリッサンである。ファノンは36歳で夭逝し、セゼールは九四歳の長寿をまっとうした。カリブ海の大作家としてグリッサンもまたセゼールのように長年にわたる活躍を望まれていた。しかし、2011年2月3日木曜日の朝、パリ市内の病院でついに帰らぬ人となった。1928年9月21日生まれ。享年82歳。土曜日パリ6区のサン・ジェルマン・デ・プレ教会でミサが執り行われ、2月9日水曜日カリブ海に面するマルティニック島南部の町ディアマンでの追悼セレモニーの後、同地の墓地に埋葬された。
マルティニックという小さな島が世界的知識人を輩出するのは、ヨーロッパ列強の植民地化によって奴隷制度が数世紀にわたって敷かれてきたというカリブ海地域の過酷な歴史的条件とおそらく無関係ではない。グリッサンはどの作家よりもカリブ海の歴史にこだわってきた。自分たちの祖先がどのように海をわたり、奴隷制時代を生き延びてきたのか。実証的歴史研究では明るみにならない「闇の歴史」を文学で表現することを作家の使命の1つとしてきた。歴史は風景と結びついている。サトウキビ畑や熱帯林や海岸のなかに奴隷制時代の過去を読み取るだけなく、その過去をカリブ海的文体によって表現することを目指した。その試みは第一小説『レザルド川』(恒川邦夫訳、現代企画室)に見出され、第2小説『第四世紀』(インスクリプト刊行予定)で本格的に探求される。
セゼール、ファノンと同様、反植民地主義者だったといわれる。フランスからのカリブ海地域の自治・独立を求める政治組織の結成、アルジェリア独立を支持するフランス知識人の宣言「121人宣言」への共同署名から、フランスやカリブ海地域の状況に介入する声明文「遠くから」(『現代思想』2006年2月臨時増刊号)や「高度必需品宣言」(『思想』2010年9月号)等をマルティニックの作家パトリック・シャモワゾーとの連名で近年まで発表してきた。なかでもカリブ海文化論の古典として名高い『アンティーユのディスクール』(インスクリプト刊行予定)はグリッサンの政治思想を知るうえで最重要の著作である。
ある追悼記事はグリッサンを「セント=ルーシャの英語詩人デレク・ウォルコットよりも詩人ではなく、パトリック・シャモワゾーよりも小説家ではなく、エメ・セゼールよりも政治家ではないが、間違いなく彼らの誰よりも哲学者である」(「ルモンド」2011年2月4日)と評した。1990年代以降のグリッサンはたしかに「哲学者」として広く認知された(本人は詩学という語をよく用いた)。『<関係>の詩学』(管啓次郎訳、インスクリプト)『多様なるものの詩学序説』(小野正嗣訳、以文社)『「全-世界」論』(恒川邦夫訳、みすず書房)はグリッサン哲学を知るうえで欠かせない。だがこの「哲学」は合理的精神とは異質なカリブ海詩人の感受性と、母語クレオール語の言語体験に培われたフランス語の文体において表現される。グリッサン哲学において概念は定義を拒み、イメージによって他の語に関係し連結し増殖する。ドゥルーズ/ガタリの思想にも触発された。
マルティニック島の自然を愛し、海に臨むディアマンに小さな家を有した。その庭には詩人が植えた扇の葉をもつ旅人木がある。水分を含むその根は旅人の乾きを癒すという。テラスからは椰子と岩礁と水平線が見え、寄せては返す波の音が聞こえる。「本当のことなど何もない、すべては生きている。」作品に耳を澄ませば、カリブ海の律動がいつでも聞こえてくるはずだ。

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