カリブ海文学について、いま考えること

日本語話者で、カリブ海のフランス語文学を勉強、研究している人たちは、とても細い線であるけれど、続いている。それぞれのひとが、それぞれの思いをもって取り組んでいると思うのだが、たぶん性格からなのだろう、さまざまに協調し、協同できるような関係をぼく自身は望んでいるところがある。個々の研究だけを追求するだけでなく、全体を見とおす展望が必要だと思っている。

文学研究にはふたつの方向があると思う。ひとつはテクスト主義。作品をテクストと見なして、ある方法的見地に基づいて内在的に読みこんでゆく方向である。フランスの文学研究は基本的にこの路線であると思う。この路線は文学研究の自律性という考えを強めている。ポストコロニアル批評理論は、このテクスト主義を他ジャンルの「テクスト」に拡大した方法論であると思う。歴史的、哲学的、政治的な文章を「テクスト」概念のもとに扱うという印象がある。だからこの意味でのポスコロは、ぼくの理解ではテクスト主義の潮流に位置する。

個人的には、テクスト主義に対してはいまは距離をとっている。作家研究や個別の作品研究にとどまるときにはこの方法的態度はある程度有効であると考えるのだが、テクスト主義に内在する普遍性に対して、違和感を覚える。

もっと文学をゆるやかに考えることはできないか。文学を論じるのに、制度によって反復され強化される文学研究のなかにとどまる必要はないのではないか。いや、むしろ、そのうちにとどまることでかえって見えなくなる、文学の「価値」があるのではないか。

文学研究のもうひとつの方向とは、「文学」の境界を踏み越えることにあると思う。たとえば、ある小説のなかに出てくる地名、植物名などは、文字で追うときには単なる記号に過ぎないが、世界は記号であると達観する前に、やはりその植物を実際見たりすると、喚起されるイメージが全然違ったりするものだ。そう考えれば、文学研究にはフィールド調査が必要ということになる。フィールド調査は人類学の専売特許ではない。また、これは小説のタイプによるけれど、カリブ海の文学の場合であれば、総じてカリブ海の歴史とかかわるテーマや挿話は避けがたい。すると、この分野を勉強するひとは、やはりカリブ海の歴史をひととおり知っている方が、知らないよりもずっと想像力が豊かになる。結局そうしてゆくと、この方向での文学研究は、地域研究に行き着くだろう。すべてにおいてアマチュアだが、ある地域について総合的な知をもつことで、文学の場所に帰ってゆくときに、テクスト主義的文学研究では感じとられにくい質感を「テクスト」のうちに感じられるようになるのではないだろうか。

カリブ海文学については「語圏」を超える必要もあるだろう。英語圏、スペイン語圏、フランス語圏、そして語圏を超える潜在的可能性であるクレオール語圏。外国語の才覚にことさら恵まれていないぼくには困ったことだが、自分自身の「語圏」の境界も超えていかなくてはならないし、日本語話者による「語圏」を超えたカリブ海文学協同研究の方向性は、今後探っていかなければならないだろう。また、フランス語でいえば、西アフリカの文学も視野に入ってくる。さまざまな協同が必要であるし、それを求めている。

コメント