脱パソコン?

先日の記事で書いた明治大学の詩をめぐるシンポジウムはいろいろと触発される話が多かったが、そのなかに、中村和恵さんがパソコンをもうやめて、ワープロに戻ろうと思う、という趣旨の発言があって、とても共感をもって聞いたのだった。パソコンは便利だが、本当に一日のうちの大部分をこの機械にとられている気がする。ないと困るというのは、携帯もそうだが、帰国後ぼくはまだ携帯をもたないでいる。ないと不便と思うことはしばしばだが、でも、なくてもなんとかなるものだ。

管さんは最近手書きのようだし、どこかでパソコンとのつきあいは考え直さなくてはならない。そう思っている。ぼくにとってのきっかけは、忘れもしない2010年12月のパリ盗難事件のときだ。このときパソコンも含めて一切合切なくしてしまったのだが、手元に本だけは残った。研究資料は盗られないですんだのだ。新しいパソコンを購入するまで、研究書、小説、詩をひたすら読んだ。考えてみれば、分厚い『カリブ海偽典』を集中して読んだのもそのときだったし、また、最近出版した文学史に関連する本を読んだのもこの時期だった。ジャック・コルザニの6巻本の文学史が読めたのもいまになれば奇跡だ。パソコンに依存しないで生きるというのは、ネット世界から距離を置くということだ。パソコン、ネットを前提にした生活スタイル、行動様式、価値観に縛られたままではいたくない。

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