外語大「沖縄『復帰』40年」をめぐるシンポについての感想


ずいぶん遅れてしまったけれど、7月14日に参加した外語大の沖縄「復帰」40年をめぐるシンポジウムについて、感想を一言二言。前回、五年前に行われた「沖縄/暴力論」のシンポジウムは聴衆のひとりとして参加したが、今回は登壇者の側にまわることになり、壇上の緊迫した空気を身をもって味わった。登壇者は私以外、「沖縄/暴力論」のメンバーであり、当然ながら5年前の延長線にこのシンポジウムがあるという、そういった気迫と緊迫感があった。今回のシンポジウムは一部と二部に分かれ、一部では西谷修氏の問題提起をふくんだ講演と、これを受けた仲里効氏の講演がおこなわれた。

西谷氏の提題は、「復帰」40年を迎えた沖縄で高まる「自立」への意志と、大飯原発を受けた国会前のデモを重ね合わせながら、日米関係を重視した軍事的再編、原発の利権構造を優先する今の政府、国家に対する、デモスの力について語るものだった。仲里氏は、これを受けて「自立の思想的拠点」を強化する視点として、改めて吉本の南島論(異族、グラフト国家)に着目する議論を展開した。

続いて第二部は、仲里氏の新著『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐるテーマで、土佐、米谷、真島、中山の各氏および私から問題提起をおこなった。

外語大研究班の主催する「沖縄企画」の特徴は、いわゆる専門家をコメンテータに立てないことである。誰も「専門家」という立場から何かをしゃべることを期待されていないのだ。つまり、「沖縄問題」について、それぞれの立場から、覚悟を決めて、話さなければならない。あなたは、どう関わるのか、ということだ。だからここに登壇するのは、国際政治の土佐さんであったり、西アフリカをフィールドとする文化人類学の真島さんだったりする(すごいキャスティングだ)。ここで一人一人の発言を紹介することはできないが、みな熱が入って時間がいつものごとく足りなくなり、中山さんの、非常に気合のこもった発表を半分ほどしか聞けなかったのが残念だ。

西谷氏が言っていたとおり、こういうシンポジウムは聞いて下さる方々がいてのものだ。その意味で我慢強く各発言者の話を聞いて下さった人々には頭が下がる思いだ。私は、真島さんの素晴らしい発表の後に、もはや何もしゃべることはないと思いつつ、恥をかく思いで「ダイグロシアの詩学」と「出来事」としてのデモやストライキについて、マルティニックを事例にお話をしたが、案の定、恥をかいて終わった(と思っている)。もっと、もっと向き合うべき「現実」がある。知ることを、考えることを止めてはならない。

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