文系研究者と公募

グリッサン論の最初の章にようやく目処がつき、少しほっとする。思えばこの数日外に出ていない。机の上には別のゲラもあり、約二週間後の発表のためのフランス語ペーパーもそろそろ用意しなければならない。6年以上も前の博論の内容をもう一度整理するのはなかなか大変そうだ……。

家にこもって執筆ばかりしていると気が散ったときにネットばかり見てしまう。この惰性にうんざりしながらも、昨日、あるブログで読んだ、研究者として大学で常勤職に就くことの困難について、思うところを書いておきたい。

大学で常勤職に就くことの困難は身にしみて分かっているので、そういうことについて、これから研究者を目指そうとする学部生や大学院生に「現実」を示すという「老婆心」は分からないことはないし、そういう記事を書いている人もおそらく苦労して就職したわけなのだから、読んでいて共感するところもある。けれども、常勤職に就くことを人生の大きな目標にする、というのは本末転倒である気もする。大学の公募では、一つのポストに数十人から百人以上を越える応募があるといわれ、選ばれるのはそのなかの一人だ。その一人になるために、競争を勝ち抜くことは、言うまでもなく大変なこと。そもそも「勝ち抜く」と思った時点で、厳しすぎる。「勝負」と考えず、ともかく一年、一年なんとかして切り抜けながら、大きな期待を抱かずに応募をすればいいのではないか、と思う。「大学への就職はお見合いみたいなもの」とかつて人生の先輩から聞いたことがあるけれど、多分そういうものなのだろうと妙に納得してしまった。

ぼくは、博士号を取得して非常勤を行いながら、いつかこう思うようになっていた。研究者とは、芸術家と同じような立場なのではないか、と。詩人であれ、画家であれ、劇作家であれ、俳優であれ、作家であれ、芸術家として食べているのはごく一部にすぎない。芸術家は自分の作品が世に認められないということで、芸術を諦めるのだろうか。おそらくその探求を諦めることなく、生活の糧を別の手段に置きながら、夜、絶えず何かを創作しているのではないだろうか。自分も、そうした「芸術家」であると思えば、研究という探究の道を経済的制約に従属させることなく、自由に行なえるのではないか、と思ったのだった。もちろん苦しい境遇でも研究を諦めない言い訳なのだが……。

このような「甘い考え」の人間は、そもそもお呼びでないのかもしれない。しかし、好きであることはなかなか止められない。30歳を過ぎて別の道を歩むことは文系研究者の場合なかなか困難であることも事実だ。でも、そうであれば「苦境」のなかでも希望をもち、自分のおこなっていることに自信をもつことが、自分自身を支える大事なところであると思う。


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