〈戦士〉フェラ・クティ


フェラ・クティの音楽は前から好きで聴いていて家にも何枚かある。けれども、普段はその力強いアフロビートをBGMとして楽しむだけで、歌詞にまで気をつけない。最近、古本屋で見つけたフェラ・クティの評伝(写真)がどうしても気になって、買うことにした。

ぼくには、図書館で借りた本よりも購入した本の方が真面目に読むという習性がある。この本は今版元で絶版のため、古本なのに限りなく定価に近い値段がついており躊躇したけれど、手元に置いて読みたいという気持ちが勝った。そして、買ってよかった。

この本は、フェラ・クティの音楽を知る上で、読んでおいて損がない、というか読むことを強くお勧めできるものだ。著者はフェラの側近として、10年近く彼と寝食をともにしてきた、フェラのことをよく知る友人である。著者のイドウは、最終的にフェラのもとを去るのだが、なぜ彼がフェラという人物に惚れ、またなぜ彼のもとを去ることを決意したのか、その経緯をプロローグとエピローグに置き、主に彼の政治的活動に焦点を当て、彼の音楽と政治的生について、短く、情熱的に語っている。

フェラは、祖国ナイジェリアの独裁軍事政権に対して、つねに反体制的メッセージを武器に闘い、そのために常に当局と激しい抗争をおこないながら、何度も何度も刑務所に入れられながらも、決して屈することなく闘い続けた〈戦士〉だった。自宅は刑務所の名を冠してカラクタ共和国と名づけられ、一種の自治領として、彼に共感する若者たちと一緒に暮らした。現代版「独立国家」(坂口恭平)とでも言えるだろう。フェラの置かれた情況はつねに死と隣り合わせだった。1977年、カラクタ共和国はおよそ1000人ものナイジェリア軍兵士に包囲され放火された。さらにそのさなか、彼の母親(彼女もまた伝説的な〈女戦士〉である)は二階から投げ捨てられ、それが原因で死んでしまった。権力は圧倒的な力で共和国を破壊したが、それでもフェラは闘うことを止めなかった。

そういうフェラの音楽による政治的コミットに思いを馳せながら、いま一度その音楽、その歌詞に耳を澄ませると、ここまでラディカルに政権や、新植民地主義を批判していたのかとびっくりすることだろう。

今こそ聞くべき音楽家であると思う。

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