「異文化」を学ぶこと

最近「異文化コミュニケーション」という言葉を耳にするようになった。大学でもこの言葉を掲げる学部、授業、それに教員の求人も見かける。「異文化コミュニケーション」とはいったいどういう学問で、また、どんなことを学ぶのかもよく知らない。ただ、「異文化コミュニケーション」に限らず、英語を「国際化」の第一スキルとして考えるのが最近の風潮のようだ。



昨日、パリ滞在中にお世話になったフランス人の先生とお会いした。日本と沖縄のことを専門とする歴史学の先生だ。夕食を食べながらお話をしていて、最後になぜかフランス社会と日本社会の話題になった。先生にはフランス社会より日本社会の方がよく見えて、ぼくにはその逆だった。というわけで、二人とも自分のいる社会を批判しつつ、相手の社会の良いところを言うような感じだったのだが、そんな会話を交わしつつ思ったのは、思考方法、物の見方や感性の違いだ。とくに興味深かったのは、政治の在り方、社会体の在り方をめぐる見え方の違いである。具体的なことは書かないが、日本の政治体制とフランスの政治体制の質的違いを指摘していたことが印象的だった。

日本研究をする外国人研究者には日本がよく見え、フランス研究をする外国人にはフランスがよく見える。これ自体は定型だ。しかし、この定型を成り立たせている視点(思考)は実はずいぶん違うものだ。この違いをどう捉えることができるか。相手の視点にどこまで近づくことができるのか。ここが肝心な点だと思う。



言葉ができるのは、コミュニケーションの上で大事なことだ。しかし、言葉は互いの意見を「理解」しあうための「手段」だけでない。そのような言語認識でとまっていたら多分「異文化」は「分からない」。外国語学習効用のひとつは、この「異」を発見することにあるのではないかと思う。「異」を学び続けることに重要な意味があるのだと思う。





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