サルトル学会研究例会をふりかえりつつ

昨日はサルトル学会の例会で、サルトルとファノンとの関係性をめぐって発表をさせてもらう機会を得た。研究としてはいろいろと課題を残したものの、最大の収穫は、鈴木道彦先生にお目にかかれたことだった。サルトル、ファノンを読む出発点にあたるお仕事をなされてきた鈴木先生が報告をお聞きくださり、しかも、好意的に受け取っていただけたことが、本当に、本当に嬉しかった。

報告者は、ほかに関さん(サルトルにおけるJeuをめぐって修士論文を準備中で、実はクレオール文学にも興味を抱いていることをあとで知り、これも面白い偶然だった。)、バタイユとサルトルをめぐる報告をおこなった岩野先生で、大変充実したものだった。

その後、サルトル学会のあり方をめぐって議論もあり、こちらも興味深かった。事情があって途中からしか聞けなかったのが残念だったが、研究か、状況と関わるか、そういった、実はサルトル研究の根幹にかかわるような(と思う)議論であり、ぜひその続きを聞きたいところだった。

いずれにしても、私は、この数年のあいだに、私にとって大切な著者たちと実際に会ったり、それが叶わなくても一緒にお仕事をさせていただいたりしている。幸運だと思う。なぜか、私が尊敬する人びとは、私にとっては祖父・祖母の世代にあたる人びとばかりだ。でもこれは偶然ではないと思っている。私が私の知性と感受において受け止めなければならない、引き継がなければならないと思っているのは、戦争を知る世代の人びとの思考であるように思う(私は(大きく言えば)フランス文学関係だから、そういう読書遍歴のなかで触れる戦争を知る世代の人びとの思考がある)。私の先生の世代は、それを受け継ぐにせよ、反発するにせよ、戦争世代との継続性があるが、私のあたりになってしまうと意識的にならなければすぐに途切れてしまうものだ。日本が現在のような危機的状況を迎える原因の一端はこういうところにもあるだろう。考えるべきことは多い。



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