書き足りなかったこと、あるいは書き忘れてしまったこと

『カリブ-世界論』は、企画書の段階で「包括的で決定的なカリブ海論にしましょう」という編集者の言葉がインスピレーションとなった、と言っていい。「包括的で決定的なカリブ海論」。2009年にフランス領マルティニック島での滞在を通じて思考のスタイルも感性も大きく変わったと信じている私は、まさにこの地点から新しいスタートを踏むつもりで書き始めた。結果、連載を経て、本にまとめるという段になったとき、その枚数は600枚を超えていた。ただ、もともと「包括的で決定的なカリブ海論」ということで、「カリブ-世界論」というタイトルでスタートを切った手前、なるべくあますことなく書こうと思っていたのだった。

とはいえ、やはり書き足りないこと、うまく本文に組み込めなかったことがある。このあたりは「あとがき」で書こうとも思ったが、書かなかった。

その一つは、マルティニックとグアドループの現代芸術である。たとえば、日本でごく限られたリスナーにマルティニックのパーカッション奏者として知られているアンリ・ゲドンは、島ではミュージシャンとしてよりも芸術家として有名だ。本でも触れたOJAMのメンバーであるルネ・コライユは戦闘的な芸術家であり、亡くなった今でも尊敬を集めている。ほかにも、ヴィクトル・アニセや「逃亡奴隷宣言」のルネ・ルイーズなどの視覚芸術家には触れたかった。

ほかにも、いろいろあるのだが、しっかり書くべきであったと反省しているのは、マルティニックをフィールドにしておられる人文地理学者・石塚道子先生のお仕事に見合う言及である。本では注で簡単に最近の論文に触れたに過ぎない。マルティニックについて、誰よりもよくご存知である石塚先生が日本語で書かれてきた重厚な論文がなければ、私のような仕事はおそらく成り立たなかっただろう。少なくとも、確固とした見識に裏打ちされたその論述が良き指針となったと今にして思う。

石塚先生もそうだが、実はこの本は多くの方に様々なことを教わりながら書いたのだ。だから、一人で書いたとは言えない。ああ、また思い出した、この本の宛先は、「群島」に住む人々だ。この本の主人公であるフランス領カリブの人々。マルティニックとグアドループに住む友人・知人が、本書を知ったとき、その内容に納得してもらえるものを書きたかった。そのつもりで書いたのだった、届かないラブレター。





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