クルツィウス

クルツィウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』は、文学研究の不朽の名著であると思う。1948年(だったと思う、記憶にたよっている)に出版されたわけだからゆうに半世紀以上が経つ。しかし、一級品というのはやはり廃れないのだ、と改めて思う。

文献学を基盤にしたその古典的な方法論は、当時の同時代的な歴史把握(たとえば、トインビーの『歴史の研究』)を積極的に取り入れている。戦前から書かれていた各論の底流にはナチズムに対する批判意識が見出せる。当時支配的だった「文芸学」を批判しつつ、一国や一文化において文学を研究するのではなく(「近代文学」はナポレオン戦争以降に勃興する国民意識から生じたものである)、ヨーロッパという総体(とりわけドイツ、フランス、イタリアの大陸西欧文化が意識される)において捉えなければならないとする問題意識は、新しい研究の方法を開拓しようとする野心と自負に満ちている。古代ギリシャ語、ラテン語、ロマンス系諸語といった外国語を縦横無尽に駆使つつ、膨大な文献の収集と読解のもとに完成されたこの碩学の一大研究は、現在でも他の追随を許さないのではないだろうか。少なくとも私にはとうてい真似のできないような境地である。

私は、クルツィウスから多くのことを学び、これからも学んでゆこうと思っている。文学を中心にした文献学的研究から見えてくるのは、ヨーロッパの精神的変遷である。クルツィウスが示した「トポス」研究の可能性は、(不勉強だから私が知らないだけで)おそらくその後の文学研究者によって開拓されているのだろう。

この研究を、カリブ海文学研究に応用するのは並大抵のことではない。私の力量をはるかに超えている。けれども、エドゥアール・グリッサンがクルツィウスから何を読み取り、自分の創作にどう反映させたのか、という問いの探究は、私にも許される。いま、まさにその方向をグリッサン論に反映させようとしているのだが、ヨーロッパ文学研究の高峰からクルツィウスが私たちに見せるヨーロッパ文学の眺望、その風景は、グリッサンが見ようとしていたものと異なるだろう。グリッサンはマルティニックの密林に覆われた丘陵から、その絶壁の果ての海と、周囲の森と、平野を見ている。


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