中村和恵『日本語に生まれて』(岩波書店、2013)


かわいらしいリスが自分のからだよりずっと大きな本を読んでいる。表紙のイラストが印象的なこの本は、中村和恵さんの新著だ。副題に「世界の本屋さんで考えたこと」とあるように、この本には、著者が赴いた世界の本屋さんについてのエッセイが十数編おさめられている。

「世界の本屋さん」。この言葉でどんな本屋さんを想像するだろう。パリ、ニューヨーク、ロンドン……。もしぼくが学生さんに同じ質問をしたら、たぶん最初に返ってくる答えは、このような欧米の大都市の本屋ではないだろうか。もう少し尋ねると、アジア、アフリカの都市名も聞こえてくるかもしれない。「世界の本屋さん」。この言葉で思い描く「世界」とは、じつはぼくたちの想像力によっている。

そのようなわけで開いてみると、最初に紹介される本屋さんは、なんと、トンガ島とドミニカ島だ。南太平洋からカリブ海へ。ドミニカ島から島伝いにマルティニック島へ。南方熱帯文化に共感をもつぼくとしては、なんとも嬉しい展開だ。

マルティニック島については、研究上、ぼくも本屋さんの勝手は知っている。でもドミニカ島はまったく知らない。カリブ海の小さな島々には、ご想像のとおり、本屋さんは数えるほどしかない。ドミニカ島の首都ロゾーの本屋さんは、文房具屋を兼ねているそうだ。

世界の小さな本屋さんに対する著者の思慕が文章から伝わってくる。

日本列島に無数にある本屋さんにつねにあふれている良質な大量の日本語書籍を見て、圧倒されないトンガ人やドミニカ島人はいないだろう。わたしも大型書店にいく度にすごいなとおもう。一方こうもおもう。日本語を読まない人々、日本の外の大多数の方々には、これらの本は扉を閉ざしたまま、内側の歌も声も届かない。このことを日本語に生まれ育ったわたしのようなものは、今後どう考えていこう。(「はじめに」)

世界の本屋さんを尋ねながら、著者が反芻するのは、「結論なんて、そう簡単に出るものじゃない」問いだ。『日本語に生まれて』という表題はこの問いとかかわっている。

ところで、表紙のリスはじつは一匹ではない。一見するとわからないのだけれど、じつは何匹かのリスくんが印刷されているのである。内容とは直接は関係ないのですが、隠れているところを見つけたときにはおもわず嬉しくなりました。

コメント