カルペンティエル『この世の王国』(木村・平田訳、水声社、1992)


続けて読んだのはカルペンティエルの『この世の王国』。再読となるが、すっかり忘れており、新鮮な気持ちで読んだ。この小説は翻訳で160頁程度。「驚異的な現実」をめぐる有名な序文は、改めて読んでも雄弁。ハイチに訪れたカルペンティエルがこの土地、風景、人、生活のなかに見てとった「驚異的な現実」とは、シュルレアリスムのような西欧発の文学運動を吹き飛ばすものであるといった趣旨のことが書かれている。まだハイチを訪れたことがない人間からしても、その土地の呪力について、少しは想像がつくし、グリッサンのアメリカス文学論に通底する視点であることはあきらかだ。

『光の世紀』とは違って、ティ・ノエルという黒人奴隷を物語の縦軸においている。黒人大衆の側に焦点を当てている。物語は淡々と進み、『光の世紀』のような大河小説的なドラマというよりも、短い言葉のうちに行為を凝集させる書き方で、筋を辿るには多少の集中力が必要だ。それと、ハイチ革命についての背景を一通り知っていないと、実は細部が味わいにくい。

『光の世紀』の方が分量も多く、重層的で、様々なテーマを腑分けして捉えるのが大変だろう。その点では『この世の王国』の方が構造が分析しやすい気がする。面白いと思ったのは、変身と憑依というテーマだ。これはヴードゥーとの関連で出てくるものだが、祭司は何にでも姿を変えることが出来るし、ヴードゥーを信じる人々にとっては、それは本当のことだ。『この世の王国』が魔術的に見えるのは、この変身・憑依の場面であり、静謐なテクストの世界が突如、闇夜の松明に照らされながら突如として動き出す。森はざわざわと騒めき出す。ひとたび読むと、その魔力に感染してしまう。そして、こう叫びたくなるのだ、グリッサンの小説の一節を思い起こしながら。
「マッカンダル! マッカンダル!」

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