ラフェリエール『帰還の謎』(藤原書店、2011)



最近、ハイチの本を集中的に紹介しているが、今回はダニー・ラフェリエールの主著と言えるだろう『帰還の謎』について簡単な感想を綴りたい。作家の来日に会わせて藤原書店から2011年に2冊同時に刊行されたのが『ハイチ震災日記』と『帰還の謎』だ。その後、『ニグロと疲れないでセックスする方法』、さらに今年も『甘い漂流』と『吾輩は日本作家である』の日本語訳が刊行され、この数年のうちにラフェリエール作品もすっかり日本語文学空間に定着してきたように思える。

フランス語圏文学という括りのなかでは、明らかにいま紹介すべき作家のひとりである。これまでフランス本国以外のフランス語作品というと、その多くは旧植民地の文学で、どうも読むのに身構える読者が多くなってしまう(もちろんぼくはそういう文学を大切に思って研究する立場の人間であるが、一般的にはそうだろう)。その意味で、ポストコロニアル状況をじかに生きる作家ながら、重くなりがちな主題をユーモアを交えながら語ることのできるダニー・ラフェリエールは、どこかつかみどころがなく、読み手の関心をある時点でふと煙に巻く用心深さがある。

小説は日本語訳で380頁ほど。一つひとつの章が短く、短い時間でも読み切れる構成になっている。また、小説の半分は、読みやすい散文詩でできているので、380頁という分量をあまり感じさせない。

主人公は、ラフェリエールの分身である語り手の「ぼく」。ハイチからケベック州モントリオールに亡命した「ぼく」が、同じく祖国から亡命した父の死の知らせをきっかけに、33年ぶりに帰郷を果たすという設定だ。ラフェリエールの経験が重なる「ぼく」が時おり語るハイチでの生活の質感が、とりわけ貴重に思える(これは、やはりハイチ出身の書き手でなければ実感がこもらない)。

訳者は、この帰還の旅をホメロスの『オデュッセイア』と比較しており、面白く読んだが、とくに気になったのは、ぼくの場合は、時間だ。過去と現在、追憶と断絶、時間それ自体をめぐる小説でもあると思う。

そして、見えるものと見えないものをめぐる小説でもある。この小説を読んでまたヴォドゥのイメージが変わった。父の故郷バラデールを訪ねる後半部がその意味で今回は心に残った。さて、ここから繋がってゆくのは、当然ながらこの小説の下敷きになっているセゼールの『帰郷ノート』だが、そちらには行かず(何度も読んでいることもある)、かつて訳されたジャック・ステファン・アレクシの『太陽将軍』に向かおうかと思っている。そろそろじっくり読むときかもしれない。

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