ベティ『ボンバの哀れなキリスト』(砂野幸稔訳、現代企画室、1995)


モンゴ・ベティの代表作『ボンバの哀れなキリスト』の日本語訳が刊行されてちょうど今年で20年目となる。現代企画室の「越境の文学/文学の越境」シリーズの一冊として刊行されたが、このシリーズには学生時代、お世話になった。カテブ・ヤシンの『ネジュマ』、ヴィクトル・セガレンの『エグゾティスムに関する試論』をはじめとしていまでも何冊ももっている。

この小説は、カメルーンの一地域ボンバの布教館のドリュモン神父(南仏出身のフランス人)の布教活動を、神父のもとに住み込みで働く少年ドニの視点から描いたもの。ドニ少年の日記という体裁をとっていることから、彼がフランス語の読み書きが十分にできること、しかし、人生経験が浅いゆえに、記録として書き記した内容はかならずしも理解できていない、という設定になっている。ドリュモン神父はこの地域に20年ものあいだ宣教師として働いており、現地語もなんなくこなせる(したがって会話の大半は現地語でおこなわれているが、言語的異質感が強調されることはない)。表題の「ボンバの哀れなキリスト」とはこのドリュモン神父のことで、物語から抽出されるのは、彼の布教への野心が打ち砕かれ、やがて布教活動それ自体に疑問を抱くようになるまでのプロセスだ。そのなかで、非常に重要なテーマとなるのが、一夫多妻制に基づいた男女の性の問題と、性をめぐる権力関係だ。この問題は、シクサの寮に住み込む女性信者の行いが明らかになる終盤でクライマックスを迎える。訳者があとがきで明快に示してくれるように、この小説は、(フランス人読者に巧妙に仕組まれた)徹底的な植民地主義および布教批判の書だ。少年が日記に書き込む、ドリュモン神父お抱えの料理人ザカリの言動が物語の鍵である。

それにしても、最近、さまざまな訳書を読み進めながら、あらためて翻訳があることのありがたみに気づかされる。モンゴ・ベティの日本語訳は、この一冊のみであるし、外国語文学の現状を考えると、ほかの作品が今後訳されることもあまり期待はできない。だからこそ、この作品の存在は大変貴重である。ある外国語で書かれた文学作品をすらすら読める人はごく一部に限られる。多くの人は、日本語に訳されていなければ外国語で書かれた作品にアクセスすることはできないだろうし、すらすら読める人にしても、その人がアクセスできる作品は、その人が操れる言語の数にかぎられる。フランス語にしろ英語にしろ関連分野の文学作品を原書で読破するには労力を要さなければならない私は、いつもこうした訳業に深い感謝の思いがある。

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