ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(中村和恵訳、みすず書房、2009)




アール・ラヴレイスの日本語訳『ドラゴンは踊れない』が出版されてもう5年がたとうとしている。2009年1月に出版されたこの本をただちに購入したものの、その後、マルティニック、パリで3年間を過ごすことになったことから、読む機会を逸してきた。どうせすぐに読めなかったわけだから、ちょっと寝かせてみようということで、最近のハイチへの関心を少しずらしはじめたところで満を持して読んだのが『ドラゴンは踊れない』だった。

群を抜いて面白い。日本語で読めるカリブ海小説のおすすめのうち、ぼくのなかではかなりの上位に入る。中村和恵さんの訳文がとにかく素晴らしい。ラヴレイスの語りの技を訳文がたいへん上手に伝えている。会話をはじめとして、オーラリティーが重視される文章を訳すのは、きわめて難しいと思うのだが、練りにねった日本語で訳しており、教わることが多かった。

内容についてひとことだけ書くと、トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペイン近郊の丘にある貧民地区を舞台に、そこに暮らす普通の人びとの日常と人生を、さまざまな登場人物にスポットを当てながら描いている。しかも、登場人物はみなキャラが立っており、どんな人物であるのか思い描きやすい。彼ら彼女ら庶民の暮しにはトリニダード・トバゴの社会状況の変化が影を落としている。ドラゴンとは、主要人物のひとりオルドリックのカーニヴァルの役柄。このカーニヴァルにはいくえもの意味が込められている。それは祝祭空間であるわけだが、この祝祭は、そこに暮らす人びとの絆であり、生きること、抵抗することの象徴だ。しかし、この絆は、商業化によって形骸化し、観光客向けの毒気のないお祭りになってゆく。また、他方で、カーニヴァルは日常を再生産する装置でもあるという批判的な眼差しも向けられる。祝祭のあいだ、人びとは仮装して変身するわけだが、仮装する行為のなかで解放される力は、しかし、真の解放をもたらさない。最強のドラゴンに扮するオルドリックが物語の後半で気づくのは、自分たちの責任放棄だ。ドラゴンのダンスはけっきょく威嚇のダンスでしかなく、きめられたルールのなかで踊っているにすぎない。だれかに踊らされているだけかもしれない。人生を決められるのではなく、自分たちの意志で人生を決めることを学んだオルドリックのすがたに、トリニダード・トバゴの行く末が重なって見えると言えば、少々言いすぎだろうか。

ところで、あらためて思ったのは、日本におけるカリブ海文学はめぐまれているということ。なぜなら、中村和恵さん、管啓次郎さん、くぼたのぞみさん、塚本昌則さん、星埜守之さんといった超一流の訳者たちが翻訳を手がけてくれるからだ(スペイン語圏をふくめるとすごい訳者リストができるだろう)。これはめったにあることではない。この意味で、今年の期待のひとつは、(自分もかかわっているので手前みそだが)、グリッサンの翻訳だ。小説でいえば『第四世紀』だ。昨年は『第四世紀』刊行50周年にあたったから、もう、そろそろだろう。今年に間に合うかわからないが、ほかにもグリッサン小説の翻訳の話はある。また、評論では『カリブ海序説』。これらはまだ期待にすぎないが、今月刊行されるもので、関口涼子さんによるパトリック・シャモワゾーの『素晴らしきソリボ』の翻訳は、楽しみで仕方がない。カリブ海文学はめぐまれている。つくづくそう思う。

コメント