シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子+パトリック・オノレ訳、河出書房新社、2015)


このところ、ひどいことばかりの世の中で、この国について、この世界について思いを巡らすとすっかり気の沈む時世だ。けれども、新しい年の新しい月に、パトリック・シャモワゾーの『素晴らしきソリボ』の日本語訳が送り届けられたことは、一見地味のようでいて、実はすごく重要なことだ。

この本の著者シャモワゾーは、日本語の「文学界」でもいまや知られる存在だと思う。『テキサコ』、『カリブ海偽典』という代表作に次いで、今回訳されたのは、シャモワゾーの出世作のひとつだ。

主人公は「素晴らしきソリボ」とあだ名される人物だ。ラム酒が大好きで、料理上手で、人たらしで、マルティニックの都会「フォール=ド=フランス」で日銭を稼ぎ、人前で話をするのが好きな、おそらくどこにもいそうで、じつはなかなかいないような人が「素晴らしきソリボ」だ。

マルティニックでは毎年2月がカーニヴァルで、みんながうかれさわぐお祭りの数日が続く。そんなカーニヴァルの夜に、フォール=ド=フランスのラ・サヴァーヌという広場のタマリンドの木で、変死体が発見される。そのもの言わぬ人こそ「素晴らしきソリボ」で、小説は最初から主人公の死で始まるのだ。

ソリボはどうして死んだのか。彼の話を聞いていた十数人が殺人の容疑者として浮上する。物語はさながら推理小説仕立てに進んでゆき、読者は物語の展開が気になって仕方ない。

でも、これはただの「推理小説」ではない(実際はサスペンスにあたるものは何も起きないことが最初から予告されている)。問題は殺したのは誰なのか、ではなく、ソリボとはいったい誰なのか、という一見わかりやすそうで、よく考えるとわからないことがこの小説の問いなのだ。

思い起こしてほしい。マルティニックという小さな島のことを。この島をふくめたカリブ海でおこった「400年」を。行き交う奴隷船のことや、プランテーションで営まれた奴隷の生を。奴隷とされてきた人びとは誰なのか。この島に生まれた人びとは誰なのか。アフリカ人? 先住民? ヨーロッパ人? 奴隷? 自由人? 移民? 黒人? 混血? こうした無数の「?」がこの島では解きほぐせない、本当の謎なのだ。

この本は、読み物としてとても優れている。けれども、単に面白い、異国を舞台にした小説を味わうという以上に、何か、不可解な、喉にひっかかる、解きがたい感情をもたらすような気がする。喉にひっかかるのだ。そんな気持ちを感じるとき、この小説に潜在する数々の「?」に巻き込まれているのかもしれない。

ところで、この小説の帯文に池澤夏樹氏が一文を寄せている。「これは読む小説ではなく、聴く小説だ。お喋り文体に乗って、愉快に奇っ怪な言葉がざぶざぶと耳に流れ込む。やめられないとまらない。それにしても、これを日本語に訳した人もすごいね」。

実際、この小説ほど、音読したくなるものもないかもしれない。訳者は、この小説が声に出して読まれることを意識して訳している。訳者はあとがきで、ある意味で翻訳不可能なこの小説のさまざまなヴァージョンが存在するとよいという希望を述べている。そうかもしれないと思いつつも、ぼくも、池澤氏にならって「これを日本語に訳した人もすごいね」と何より言いたい。きっと日本語の翻訳の新たな可能性を示してくれる、そんな比類ない訳業ではないかと直観している。

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