ワークショップ「フィクションの政治学」(5月31日10:00、明治学院大学)

間近のお知らせになりますが、5月31日、今週の日曜日に開催される、日本フランス語フランス文学会春季大会のワークショップ「フィクションの政治学」に参加します。場所は明治学院大学の白金キャンパスです。10時から12時です。詳しくは人文書院のサイトをご参照下さい(こちら)。


以下、今回の企画のコーディネーターである齊藤さんの文章を引用します。

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フィクションの政治学

立木康介(京都大学)、中村隆之(大東文化大学)、廣瀬純(龍谷大学)、齊藤哲也(明治学院大学、コーディネーター)

大学教育におけるフランス語、フランス文学の衰退がささやかれてひさしい。だが、ほんとうにそうなのだろうか? たしかに数のうえでならそうだろう。しかし、いまフランス語を学ぼうとする個々の学習者の「熱意」という観点から見るならば、事態はかならずしも、そうではないと思う。漠然とした印象を書けば、コミュニケーション・ツールとしてのフランス語を習得したいという学生のオーダーは、近年むしろ高まりを見せているように感じられるし、また結果として、そのコミュニケーション・ツールとしてのフランス語を習得するための「ツール」――ほかでも代替可能な「いち」ツール?――としてのフランス文学への関心は、それほど衰えを見せているようには思われない。こう書くと、あまりに素朴なオプティミスムと思われてしまうかもしれないが、むしろ別の観点で事態はよりいっそう深刻なのかもしれない。一方に「現実」を語る言語が存在し、他方に「架空」でしかない言語(文学)が存在する――この現実と架空の二者択一がもはや動かしえない事実として受け取られている状況をいかに考えたらいいだろうか。つまり衰退した(かにみえる)のは、外国語や外国文学である以前に、フィクション、作り話、「偽のもの」にたいする関心、さらにいえば信頼ではないだろうか? 
とはいえ「文学作品」はいまでも大量に消費されているし、その市場はいまだにそれなりに活気づいている。フィクションの衰退など、いったいどこで感じとれるだろうか? しかし、あえていおう。どれも変わり映えのしないこれらの「ベストセラー」たちは「文学というフィクション」という枠組みにそのまままるごと依存しながら、またそうすることで、現実と架空、実在と想像、あるいは真と偽の二者択一をますます強化するばかりではないだろうか。本ワークショップで「共同アトリエ的」に議論したいのは、現実か架空か、という二者択一を無効にしてしまうフィクションの「真」の(「偽」の?)「政治力」の可能性である。文学(中村)、精神分析(立木)、映画(廣瀬)をおもなフィールドとする3人の登壇者が、それぞれ「フィクション」をめぐって自由に発表するなかで、それを受けて会場全体でも活発な議論ができればと思っています。

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