カザノヴァ『世界文学空間』(藤原書店、2002)



信頼できる複数の研究仲間や先生から奨められながらも、なかなか読む機会を見つけられずにきたのが、この本、パスカル・カザノヴァの『世界文学空間』です。帯に「文学の世界システム」とあるように、ウォーラーステインの近代世界システムを彷彿とさせるもので、「世界文学」が構造的に有している「中心」と「周辺」の関係を、とりわけ「資本」の観点から鮮やかに描く大著です。定価が高すぎるという点を措いておけば、これは私のような「フランス語圏文学」や「カリブ海文学」を研究する者には必読だと言えます。

最近では、「プレザンス・アフリケーヌ」研究会で話題になったのですが、たしかにここで展開されている議論は、この数年来、私が関心を寄せている「プレザンス・アフリケーヌ」誌上でおこなわれた「民族詩/国民詩」の論争におおいに接続できるものです(私の大きな関心のひとつは、「政治と文学」です)。以下の箇所は、どこかでいずれ引用したいと思う核心的な言及のひとつです。

新興文学空間の政治的従属は、機能主義的美学への依存、文学的モデルニテの基準に照らして一段と保守的な語りの、小説の、さらには詩のフォルムへの依存によって示される。反対に、私が示そうとしてきたように、最も文学的な国々の自律の度合いを測る目安となるのは、とりわけ文学的争点の脱政治化、つまり、民衆や国のテーマのほとんど全面的な消失であり、国家的アイデンティティーや地方主義の創成に参加する必要から解放され、社会的あるいは政治的「機能」をもたない、いわゆる「純粋な」テクストの出現であり、それと対称をなすものとして、形式的探求の発達、文学とは関係のない一切の争点から解放されたフォルムの探求の発達、文学的ではない一切のヴィジョンから自由になった文学論争の発達である。作家自身の役割も、霊感を受けた預言者の領域や、集団的メッセンジャーの機能、自律的ではない空間において彼に割り振れられている国民的〈うたびと〉の機能からはずれたところで展開することができるようになる。(256-257ページ)

この箇所は、エドゥアール・グリッサンについて論じた本のとりわけ第2章で論じようとしたテーマを非常に明確に示してくれています。まさにグリッサンは、小国の文学において要請される政治的負荷を負いつつも、「フィクション」と「現実」を一致させようとする「リアリズム」の形式(カサノヴァの見事な規定)を模倣することなく、来たるべき「カリブ海の文学」に向けて新たな形式と内容を創造しようとしたわけです。私がグリッサンという作家にこだわる理由のひとつはまさにこの点にあります。

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