上野俊哉『四つのエコロジー』(河出書房新社、2016)


年の瀬にかけて気になる本がたくさん出ています。今回はそんな一冊、上野俊哉『四つのエコロジー』(河出書房新社、2016)を紹介します。副題に「フェリックス・ガタリの思考」とあるように、この本は、20世紀フランスの思想家にして精神分析学者フェリックス・ガタリ(1930−1992)の思想の根幹に迫るものです。「現代思想」に詳しい読者には周知の書き手ですが、よく引き合いに出されるジル・ドゥルーズと比べると、まだまだその思想が一般化しているとは言いがたいと思います。また、ガタリの書いているものは難解です。どこか謎めいています。けれども、それは読者を煙に巻こうとしているのではなく、ガタリにとって必然的な書き方でした。上野さんの文章にはこうあります。

よく言われるように、たしかにガタリの本は難解だ。翻訳が悪いのではなく、もとが悪文なのだ。駆使される造語(ネオロジスム)やいくつもの新奇な概念の創造にもかかわらず、彼の言葉はいつもどこか足りない。あるいは新しい概念の抽象度に言葉や論理が追いつかない。具体的な個々の場面や状況からねりあげられた感覚と、因襲的で制度化した研究業界の用語から遠ざかろうともがく身ぶりの間にギャップが開きすぎている。しかし、言葉や説明が足りないからこそ、むしろ逆に新しいパラダイムに向けて、これまでの言葉や概念では説明できない部分、抽象性の過剰な高まりが創造性にとって一種の「糊しろ」としてはたらくこともある。

ガタリの「言葉はいつもどこか足りない」。ガタリの文体に深く入り込んだところから発せられるこの一文が、非常に印象的です。そしてガタリの文章のなかでの「言い足りなさ」を、現代の日本および世界のあり方を念頭におきながら、読者にわかりやすく示してくれるのがこの本だとわたしは思います。

目次は以下のとおりです。

はじめに 『みどりの仮面』とエコロジー
序章   なぜエコロジーか? ガタリとは誰だったのか?
第1章  自然を再考する
第2章  エコソフィーとカオソフィー
第3章  分裂生成の宇宙
終章   ブラジルと日本を横切って……〈全=世界〉リゾームへ

いま第1章を読み進めているところですが、ガタリの「自然」観がとてもよくわかります。篠原さんのお仕事をつうじて知り始めたティモシー・モートンへの言及もあり、ガタリを読むことが今日的な経験であることを随所で感じています。

ところで終章に〈全=世界〉リゾームという言葉が出てきます。〈全=世界〉はエドゥアール・グリッサンのキーワードですので、気になって終章を見たところ、ガタリの思考を媒介する書き手としてグリッサンが登場します! たいへんうれしく、また刺激を受けています。グリッサンが示そうとした〈全=世界〉のヴィジョンを考えるにあたって、『四つのエコロジー』が教えてくれることを楽しみにしながら、読み進めていこうと思います。


コメント