「図書新聞」新連載 第1回「追悼ジャン・ベルナベ」


今秋発売の「図書新聞」3302号(2017/5/6)に『クレオール礼賛』の著者の1人ジャン・ベルナベさんへの追悼文を書きました。この記事は、新しい連載「感傷図書館(サンティマンテック)」の第1回を飾ります。この後、不定期で続けていくつもりです。このコーナーでは、新刊ではなくあえて過去の本を取りあげるつもりです。こんな時局だからこそ紹介したい本を自分の記憶のうちに探ります。この記事は図書新聞のサイトでも無料公開されていますので、本ブログにも転載します。

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ジャン・ベルナベの名前は日本語圏では一冊の著作と分かちがたく結びついている。『クレオール礼賛』という、マルティニーク島出身の作家たちの文学宣言の書だ。
 今福龍太の『クレオール主義』を筆頭に、カリブ海発「クレオール」の思想がこの邦でも紹介され、1990年代にカリブ海のフランス語圏の島々の文学が脚光を浴びた。シャモワゾー『テキサコ』(星埜守之訳)、コンフィアン『コーヒーの水』(塚本昌則訳)、マリーズ・コンデ『生命の樹』(管啓次郎訳)など作品が次々と訳されるなか、本書は、「クレオール」を、文化の根本的な混淆性と複数性を示すコンセプトとして打ち出した。
 それは、なにより、強制移送と奴隷制という負の過去を背負うカリブ海住民の自己肯定のための言葉だったが、日本の植民地主義を含めたポストコロニアルの文脈のなかで、国民国家に囲い込まれた文化の本質性や単一性の幻想を打ち破る概念として、また、〈故郷〉を喪失した人々の経験を救い出すかもしれない言葉として、この邦でも注目を浴びたのだった。
 ジャン・ベルナベは、シャモワゾーやコンフィアンとともに「クレオール」の作家でもあるが、なにより言語学者だった。1942年、マルティニークの北東部で生まれ、彼の世代のなかでは抜きん出た秀才として、フランス語と古典語を中等・高等教育機関で教えることができる「文法の教授資格者」になった。しかし、学者として彼が選んだ研究対象は、ギリシア語でもラテン語でもなく、クレオール語だった。
 マルティニーク島において公的にして権威的な言語はフランス語である。対して、クレオール語は、元奴隷がしゃべる俚言だと長らく見なされてきた。ベルナベは、クレオール語こそが自分たちの母語にして「国語」であるという認識から、書き言葉を整備し、クレオール語に対する偏見を打破してフランス語を相対化しようとしたのだった。
 1982年にはマルティニーク島とグアドループ島のクレオール語文法を比較した言語学の博士論文を執筆し、『フォンダル・ナタル』という全3巻の研究書を出版した。アンティル・ギアナ大学を拠点とし、クレオール語の共同研究グループ「GEREC(ジェレック)」のリーダーとして、言語学と教育の分野を率先して切り拓いていった。
 そのジャン・ベルナベが、本年4月12日に亡くなった。
 ベルナベは、カリブ海研究を志す私にとっての先生だった。2009年、マルティニーク島に約1年研究滞在したとき、ベルナベ先生は、受け入れ教員を快く引き受けてくださった。温厚で、礼節を重んじる方だった。しかし、そんな先生が一度、激しい怒りを示したときがある。
 2009年12月のある日の夜、筆者の友人でカリブ海作家のフランス語作品のクレオール語訳を手がけるロドルフ・エティエンヌがエメ・セゼールとクレオール語に関する発表を行った。3部構成のその発表は、クレオール語をめぐる歴史の概観、『クレオール礼賛』派によるセゼール批判とその論点の紹介、セゼールとクレオール語の関係の再評価から成った。
 『クレオール礼賛』派の見解では、セゼールはクレオール語に対して完全に否定的だった。しかし、ロドルフはこの主張に異議を唱え、セゼール主義者やセゼールの発言などを示しながら、セゼールがクレオール語に対して肯定的にも考えていたのだ、と主張したのだった。
 ベルナベ先生が質問をした。しかし、それは質問ではなく、怒りそのものだった。ベルナベ先生は怒りで体を震わせながら激しい調子で話し始めた。
 「講演者さん、ご発表は完全に破綻している。論証から何から何までむちゃくちゃです。結局、あなたはフランス語びいきなのですね……。フランス語はここでは植民者の言語です。クレオール語で通じ合うですって? そんなのは理想論です。××島でクレオール語が話されていると言ってましたが、その島ではクレオール語によって社会が成り立っていないじゃないですか……。セゼールがクレオール語に肯定的ですって? あなたが引用しているのはセゼールの言葉尻だけです。実際はまったく違います。セゼールは最初から最後までクレオール語を否定していた。いいですか、クレオール語に対する考えをここまで変えてきたのは、私たちなのです。セゼールの時代には、そんなことは無理だった。私たちの時代になって、ソシュール言語学、構造主義の流れの中でようやくクレオール語の研究ができるようになったのです。私たちの時代にとっては言語学こそが重要だったのです……。講演者さんは「クレオール性はネグリチュードの一部である」というセゼールの発言を引かれましたが、まったく違う。逆です。「ネグリチュードの方がクレオール性の一部」なのです。私たちは、インド、アフリカ、アジアといった様々な要素から構成されているのですから。セゼールが「一部」などという言葉を使うのは、「(海外)県」をひいきしているからですよ……。あなたの話はデマゴギーです……」
 ベルナベ先生のこの発言以来、筆者のなかで「クレオール」がざらついたものとなった。マルティニークに来るまで、「クレオール」にはどこか楽観的で理想主義的だというイメージを抱いていた。しかし実際のところ、この言葉は、島の文化状況にコミットメントするさいの政治的態度と切り離せないのだった。
 ジャン・ベルナベを思い出すことは、そうした、ざらついた「クレオール」の感触を忘れないことである。
(フランス文学、カリブ海文学研究)





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