フランス文学者・鈴木道彦さんへのインタビュー記事(「図書新聞」3352号)


「図書新聞」5月19日号に、フランス文学者、鈴木道彦さんへのインタビューが掲載されます。新著『余白の声』を中心に、鈴木さんのプルースト、サルトル、在日とのかかわりを中心にお話をうかがいました。インタビューは4月5日、鈴木道彦さんのご自宅でおこなわれました。中村がインタビューの主な聞き手となりますが、「図書新聞」の須藤巧さんとのコンビが、適度な緊張と和みをもたらし、2時間半ほど、鈴木さんにはつき合っていただきました。須藤さんによれば鈴木さんは「驚愕の記憶力の持ち主」で、私もそのことにおおいにたじろいでしましました(私の記憶力の無さがわかってしまいますが)。「図書新聞」では対談やインタビューの機会をいろいろといただいており、これまでに、海老坂武さん(没後50周忌にファノンをめぐって)、崎山多美さん(「うんじゅが、ナサキ」をめぐって)、篠原雅武さん(「現代思想の転換2017」をめぐって)、星埜守之さんと佐久間寛さん(「プレザンス・アフリケーヌ」シンポジウムをめぐって)でお世話になってきました。もちろん、これからもいろいろな機会にお話をうかがっていくわけですが、こうやって思い返さないと、本当に忘れてしまう性格で、備忘録をかねております。

せっかくですから、一ヶ所だけ、引用してします。
鈴木道彦さんに「現代の言論について」聞きました。


鈴木:批判的なことを書こうとする人の書く場がなくなっていますね。昔のような総合雑誌もあまりないから、事情が違うとは思いますが。しかしいずれにせよ、何か言ったら、吐いた言葉はもう取り戻せない。その意味で、ものを書く人間と政治家は違います。ぼくは、物書きの端くれとして、その覚悟だけは最初から持っていました。例えばアルジェリア戦争のとき、「121人宣言」というのがありました。フランス人でありながら、植民地体制の崩壊に寄与するアルジェリアの民族解放戦線(FNL)を支持し、それに対して武器をとることを拒否するフランス人の態度を正当と見なす、という一種の「非国民」宣言です。それを紹介するときに、肯定的に書けるだろうかと考えました。もしそれを称賛したら、同じようなことが起こったときに自分も同じように行動するしかありませんから。しかし、思いきって覚悟を決めました。


鈴木さんのお仕事で、比較的入手しやすいのは今回の講演録『余白の声』や回想録『越境の時』でしょう。これに対して、『アンガージュマンの思想』(1969)や『政治暴力と想像力』(1970)に収められた論考は状況のなかで書かれています。時代状況はまったく異なるとはいえ、私が鈴木さんから学んできたことを再びインタビューを通じて自分の身中に刻めたことは、本当に得難いことでした。「図書新聞」の最新号をお読みくだされば幸いです。

(写真はパリの中華地区)

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