篠原雅武『人新世の哲学』(人文書院、2017)



2018年1月に刊行された篠原雅武さんの著書『人新世の哲学』を読みました。篠原さんの近年の仕事に、ニュータウン論(『生きられたニュータウン』)、ティモシー・モートン論(『複数性のエコロジー』)がありますが、今回の著書はそれらのお仕事をベースにしながら、私たちの生きるこの世界をめぐる今日的な哲学的思考を展開しています。

『人新世の哲学』には「思弁的実在論以後の〈人間の条件〉」という副題が付されています。とくに力点が置かれるのは、〈人間の条件〉のほうで、ハンナ・アーレントの同名の著作に由来します。アーレントの『人間の条件』の出版は1958年。その当時において人はいかなる条件の下に「人」であるのかを考察するなかで、アーレントは「人間のための公的世界」と「その外に広がる〈世界ならざるもの〉(non-world)」を区別したと言います。そして「世界ならざるものを排除し、世界ならざるものから区別され、撤退することで、人間の条件としての公的世界は形成され維持される」とアーレントは考えました(同書82頁)。人間世界とは、自然を飼いならし、人工的に自然を整形してきた世界であるわけですが、アーレントは、そうした人間世界が、その外部の自然世界と接点をもたなくなることへさらなる考察を進めます。篠原さんの要約によれば「何もなくなることが人間の条件においていかなる帰結をもたらすのかが、アーレントの主たる関心」であり「切り離されつつ自己完結的になっていく状態をただ故郷喪失や人間疎外の問題設定で論じてしまわないので、切り離しゆえに生じてしまう人間の条件の崩壊をめぐる」鋭利な考察をアーレントは展開します(同書110頁)。

さて、『人新世の哲学』の試みは、1958年の「人間の条件」をその60年後の2018年において考察しようという、野心的な企てであり、なおかつ、原理的・根本的な問いを中心に据えたからこそ、著作の強度があるのだ、と私は考えます。

篠原さんの考えを私なりにまとめると、アーレントの思考がおよばなかったことが、人間世界が自然世界の一部をなしているという感覚であった、と言えそうです。自然世界の猛威によって人間世界がことごとく壊れていくなかで、私たちはこのことに敏感であらざるをえません。篠原さんのお仕事が貴重であるのは、まさに今現在の人間の条件を思考し続けていることにあり、その意味では、今回の著作もまた、次なる作品に向かう過程であるのでしょう。

著作は全6章からなりますが、5章以降が私にとっては示唆的で、共感するところもいろいろありました。第5章では小野十三郎の詩が論じられたりと、彼の著作では文学・芸術がいつでも一定の役割を担うわけですが、その着眼点に、なるほど、と思います。

いろいろ受けた刺激を糧に、私も次なる著作の準備を進めていきたいものです。


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